必ずしも報われるとは限らない努力をする意味

努力は必ず報われる、というわけではありません。ところが、努力は必ず報われるとは限らないという厳然たる事実をはっきりと語る人はあまりいないように感じられます。

 

歳を重ね、人生経験を積んでいけば誰しもこの事実に気付くはずです。ですから、この事実を次の世代の人たちにきちんと伝えていくことは前の世代の人間の義務だと思うのですが、そういう世の中にはなっていないように思います。それは、努力は必ず報われるとは限らないんだよと言ってしまうと、じゃあ何のために努力するのと聞かれた時に答えられないからなのでしょう。でも、だからと言って、努力をすればいつか必ず報われるなどと「嘘」を言ってしまうと、そう言われた人が努力を続けたけれども報われなかった時にどうなるでしょうか。

 

努力は必ず報われるとは限らないけど、それでも努力をする意味があるのだということを伝えることが必要であり、努力は必ず報われるとは限らないけど、それでも努力をする意味があるのだと思えれば、努力を続けたけれども報われなかった時に、その人の中でその努力は決して無駄にはなりません。努力をして結果を出すことに意味があるのではなく、努力をしたこと自体に意味があるからです。

 

では、必ずしも報われるとは限らない努力をする意味は何なのだと問われた時、どう答えたらよいのでしょう。もちろん、何か目的があって努力をするわけですから、その目的が達成できればそれに越したことはありません。ですが、その努力が報われなかったとしても、その目的のために努力をした、努力することができたということ自体がそもそも素晴らしいことであり、何かに向かって努力をしたこと自体が自分にも人にも誇れることであり、努力をしたこと自体がその人の人生そのものなのだと思います。

 

報われるかどうか分からなくても、努力せずに人生を終えるよりも、努力をしたけどもダメだったと思って人生を終えられるほうが清々しいだろうなと私は思います。

 

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