ポーホック対策(その3)

 書き取りというのは、前回書いたように、試験官が読み上げる文章を書き取っていくわけだが、学校では当然ながら試験官ではなく先生が読み上げる文章を書き取っていく。

 実はこの書き取り自体はポーホック対策のクラス以前から授業でやっていて、ぼくの通っていた学校ではこの書き取りのことを「เขียนไทย (キアン・タイ) 」と言った。

 「เขียน (キアン) 」とは書くという意味で、「ไทย (タイ) 」というのはここではタイ語を意味する。もちろん通常タイ語は「ภาษาไทย (パーサー・タイ) 」と言うのだが、「ไทย (タイ) 」だけでもタイ語を意味する場合もあり、例えば日本人がタイに暮らしていて、タイ人と少しタイ語で話したりすると相手に「พูดไทยเก่งจัง (プート・タイ・ケン・チャン:タイ語うまいね) 」などと言われたりするのだが、この場合でも相手が言う「ไทย (タイ) 」というのはあきらかに「タイ語」のことである。

 ちなみに今書いていて気が付いたが、例えば日本語でも上のような状況では「タイ語うまいね」とか「タイ語上手ですね」と言ってもなんの違和感もない。ここで言っている「うまい」とか「上手」というのはもちろん「しゃべるのが」ということなのであるが、日本語ではこういう時わざわざ「しゃべるのが」とは言わない。というかむしろ言うと不自然である。

 そういったことと対比させて考えても、明らかにタイ語のことを指しているような場合は、わざわざ「語」という言葉をつける必要はないのかもしれない。

 また話がそれてしまった。さて、この「เขียนไทย」、つまりタイ語の書き取りだが、学校の授業では先生はいつも2回読み上げてくれる(生徒のリクエストがあると3回読んでくれることもあるが、ぼくは本番の試験を想定して練習していたのでこのように3回読んでもらうのは嫌であった。)。しかもその速度はかなりゆっくりであり、教室も広くないので先生の声ははっきり聞こえる。

 そんなわけで、学校の「เขียนไทย 」ではぼくは間違えることはそれほど多くはなかったのだが、実は「書き取ることができる」ことと「聞き取ることができる」ことはまったくのイコールではないのである。

 というのはどういうことかと言うと、ぼくが書き取ることのできる単語の大半は、分かりやすく言うと、つづりを知っている単語なのである。

 例えば、「ไทย (タイ) 」という言葉があるが、この言葉の場合、音声として「タイ」と聞こえた瞬間に「ไทย」というタイ語のつづりが頭に浮かぶわけである。これを「聞き取れている」と言うこともできるのだが、ここでぼくが言わんとしている「聞き取ることができる」というのはこれとは少し意味合いが違う。

 どう違うのかを具体例をあげて説明したいのだが、先ほどの「ไทย (タイ) 」では音が単純すぎて説明しにくいので、別の単語で説明したいと思う。

 例えば、やはり先ほど書いた「เขียน (キアン) 」。これなどもよく知っている基本単語なので「キアン」と聞いた瞬間に「เขียน」というつづりが頭に浮かぶわけだが、じゃあ末子音の「น」がちゃんと聞き取れているかというと、それはまた別問題なのである。仮に先生がわざと「เขียง」と発音したとしても「เขียน」と書いてしまいそうである。つまり、ここでぼくが「เขียน」と書くのは、この単語を知っているからというだけでなく、文脈から判断んしているからでもある。逆に、日本人が「เขียน」と言うつもりで実際の発音は「เขียง」だったとしても(かなりタイ語ができる人でも大いにありうる話である)、相手は話の流れから「เขียน」という意味だと理解してくれる可能性のほうが高い。つまり、そういう意味では書き取ることができていても必ずしも聞き取ることはできているとは限らないのである。

 ちなみに「เขียง」というのは「まな板」という意味の単語だが、この単語さえ知っていれば仮に末子音が「น」なのか「ง」なのか聞き取れなくても正しく「เขียง」と書くことができるのである。これも当然文脈から判断しているわけである。

 当時のぼくはまだこの「น」と「ง」などがちゃんと聞き分けられていなかったが、知っている単語であれば文章の流れから正しく書くことができた。逆に言うと、知らない単語であったり、つづりをちゃんと覚えていなかったりすると書き間違えるのである。

 せっかくなので今日はひとつ「เขียนไทย (キアン・タイ)」の問題を。次の2つのタイ語を書き取って下さい。

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