「百聞は一見に如かず」を実感した日

 

ふだん新聞やニュースなどでよく目や耳にする事故や災害などは「百聞」の出来事です。映像は文章より心に与える衝撃は大きいですが、自分の目で実際の出来事を見ることには遠く及びません。つい最近そのことを心から実感する出来事を目の当たりにしました。

 

私の住んでいるアパートの目の前にある家が火事になりました。アパートから10mちょっとの距離です。火事で無残に焼けた家が今も私の仕事部屋の窓から見えます。

 

火事を発見したのは深夜でした。もう12時半は過ぎていたと思いますが、私は夜型人間なのでまだ起きていました。ふいに「パン!」という何かが弾けるような音が聞こえ、何ごとかと思い、音がした方の窓のカーテンを開けると、目の前の家が燃えていました。すぐに119番してアパートの住所と名前を言い、向かいの家が燃えていることを伝えましたが、他の人がすでに通報していたようで、すでに消防車が現場に向かっているとのことでした。私が火事に気付いた時にはもう家がけっこう燃えていましたから、私が火事に気付いた時にはすでに発火してからある程度の時間が経っていたのだと思います。

 

その家は木造の2階建てで、2階のベランダにはその家に住む高齢の女性が立っていて、しきりに隣の住人の名前を読んでいました。その女性はハンカチか何かを口に当てていましたが、火だけでなく煙もかなり出ていたので、私はバケツに水を入れてその中にタオルを2枚入れ、アパートの部屋から妻とともに急いでその家に向かいました。女性ができるだけ煙を吸い込まないようにするためです。

 

燃えている家の前で女性に声をかけ、濡らしたタオルを下から投げました。タオルはうまくベランダに落ち、女性がそのタオルを口に当てた後、もうすぐ消防車が来ることを伝えました。火の勢いはもう私たちがバケツの水をかけてどうにかなるような状態ではありませんでした。ほどなくして消防車にサイレンの音が聞こえてきたので、もうすぐ消防車が来ますと女性に伝えたのですが、サイレンの音が聞こえてから消防車が現場に到着するまでが長く感じられました。

 

そして、消防車が現場に到着し、私は女性が2階のベランダにいると消防隊員に伝えました。私たちができることはこれ以上ありませんので、自分の部屋に戻りました。

 

その後、消防隊員がはしごで2階のベランダに登り、ベランダにいた女性は消防隊員により無事に救助されました。ただ、消防車が到着した時には火はすでにかなりの勢いで燃えており、左隣の家にも火が燃え移っていたため、消火作業にはかなりの時間を要しました。

 

消防隊員だけでもざっと20名以上はいて、その他にも警察官などを入れると30~40名の人が現場にいました。放水による消火作業も複数のホースで放水していましたが、火が家のいろんな箇所に燃え移っていたので、いったんは火の勢いが弱まってきたように見えたのですが、家の中で燃えている火にはなかなか水が届きませんし、そのうちに屋根瓦が破れて屋根まで燃え始めたため、消火作業は難航しました。

 

最初は家の正面から放水していたのですが、それでは屋根の燃えている部分などに水がなかなか届かないので、途中からは家の後ろや横からも放水を始め、時間ははっきりと覚えていませんが、2時間以上経って火の勢いがようやく落ち着いてきました。その時点では、火事になった家の1階の居間の天井は燃えて穴があいた状態になっており、屋根の部分にもかなり大きな穴が開いていました。また、延焼した左隣の家も家の右半分はかなり焼けていました。

 

実は私の部屋がちょうど火事になった家の正面なので、まさに目の前で家が燃える様子と、消防隊員が懸命の放水消火作業をする様子を見ていたのですが、こんな間近で家が燃える様子を見たのは生まれて初めてだったので、目の前で起きていることが信じられないような思いでした。しかも、実はその家には救助された女性の息子さんも住んでいたのですが、最初からその息子さんの姿は見当たりませんでした。

 

消火作業を見ている間に、おそらく息子さんはもうだめだろうと思ってはいましたが、消火作業がかなり進んだ段階で、消防隊員が拡声器で「息子さんの…を発見」(はっきり聞こえませんでした)というようなことを言っているのが聞こえました。そして、火種なども含めてほぼ完全に鎮火した後、白い布に包まれた遺体が運び出されました。

 

ちなみに、少なくとも外側からはほぼ完全に鎮火したように見えた後も、消防隊員は長い釜のような道具を使って、残っていた天井の残骸を取り払っていました。天井からはわらのようなものがどっさり落ちてきたので、おそらく、目に見えない火種が消火作業後に再び燃え始めることがないようにするため、あのように天井の残骸を壊していたのだと思います。結局、火事になった家は全焼で、左隣の家も半焼でした。

 

次の日の朝、インターネットではすでにこの火事のニュースが載っていました。そのニュースを読んで感じたことが、もし、これが別の町や県での火事のニュースだとしたら、気の毒だとは思っても、それ以上の感情は抱かなかっただろうということです。しかし今回は実際に自分の目で、しかもすぐ目の前で家が燃える様子と消火作業の様子、遺体が運び出される様子を見ましたので、理屈ではなく「百聞は一見に如かず」という言葉を実感しました。

 

自分の住んでいるアパートの目の前にあり、毎日目にしていた家がある日とつぜん火事になって全焼し、しかもその家に住んでいた人が亡くなったという現実を目の当たりにし、火事だけでなく、人生はいつなんどきでもどんなことも起こりうるのだということを思わずにはいられませんでした。

 

亡くなった息子さんは当然お気の毒なのですが、自分の家が全焼し、息子を亡くし、しかも隣の家まで半焼してしまったこの高齢の女性の今後の人生を想像するだけで、言葉では何と言ってよいのか分からないつらい気持ちになります。

 

こんなことをインターネット上で書くのはどうかと思ったのですが、人生では本当に何ごとも起こりうるのであり、今回はそれがたまたま自分ではなく他の人だったということを自分自身に言い聞かせるために、また、実際にこういうことがあったのだということを他の人にも伝えるために、今回の出来事を書くことにしました。

 

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