「才能」はあるか

 「才能」というのは厳然として存在すると思う。才能という代わりに「器」と言ってもいい。
 人が生まれながらに持っている「器」というのは、大きさも形も人それぞれだと思う。中には他の人よりも明らかに大きな器を持っているという人もいて、そんな人がその他大勢の人と同じように水を汲めば、当然ながら器が大きい分だけ他の人よりたくさんの水が汲める*1。才能というのはそんなものなのではないかと思う。だから、生まれながらの器の違いを認めない人というのはしょせん現実から目をそらしているだけなのだ。
 ただ、たとえ器の大きさで劣っていても、水の汲み方を工夫することで、汲める量の差を縮めることができるかもしれないし、場合によっては自分のほうがたくさん汲めるようになるかもしれない。

 もちろん水を汲むのが1回だけなら、いくら工夫してもその差を縮めることは難しいわけであるが、実際の人生で長い時間をかけてやること、例えば、仕事について言えば、これは水を汲む作業の繰り返しになるわけで、そうなると、器の大きな人が必ずしも最終的に多くの水を汲めるとは限らない。

 では、どう水の汲み方を工夫するのか。まず真っ先に思いつくのが水を汲む「速さ」である。自分よりも大きな器を持っている人と比べて1回あたりの水汲みのスピードが速ければ、何回も水を汲んでいくうちにその差が縮まり、いつかは追い抜けるはずである。ただし、水を速く汲めば、その分疲れるのも早くなるので、水を速く汲んでも疲れないように体力をつける必要はあるが。

 次に考えられるのは、技術面での汲み方の工夫である。というのは、1回水を汲むのにも雑な水の汲み方をすれば、器を水で満たすことはできない。そこで、水を汲んだ時になるべく多くの水が器に入るような水面と器の角度やら器を水から引き上げる時のスピードや器の向きやらを身に付けるのである。

 ここらあたりで気が付く人もいるかもしれない。自分が水を汲むスピードを速くして、水を汲むテクニックを身に付けたとしても、自分より大きな器を持つ人が同じようにスピードを上げテクニックを身に付けたらその差は埋まらないではないかと。それはやはりそうなのだと思う。そういう事実を認めなければ人は大人にはなれないと私は思う。

 世の中には他の大多数の人間よりも桁外れに大きな器を持っているという人がおそらくごくごく稀にだが存在するのである。そんな人に水を汲むスピードやらテクニックを身に付けられたら、少なくとも短期的に見れば、どう転んでもかないっこない。ただし、そもそもそんな人は割合で言えば本当にごくわずかであり、逆にその他大勢の人は器に多少の大きさの違いはあっても、桁違いに大きな器の人から見ればそれこそ五十歩百歩、どんぐりの背くらべであろう。私はそこで勝負すればいいのだと思っている(本当はそもそも人と勝負すること自体必要ないことなのだが、客観的に分かりやすいようにとりあえず勝負としておく)。

 一生をかけてする仕事というのは、何十年という時間を費やすことになる。先ほど五十歩百歩と書いたが、その他大勢の中でも八割方の人はそれこそ五十歩前後のわずかな違いしかないと思う。例えば、四十九歩の人と五十歩の人がいるとして、その二人が水を汲むスピードやらテクニックやらを必死になって身に付けたとしても、短期的には(例えば水を十杯汲むのであれば)それほど大きな差はつかないであろう。だが、一生をかけてする仕事となると話は別である。何十年もかけて自分の持っている器で水を汲んでいき、仮に同じペースで水を汲んでいくとすると、スピードやらテクニックに差があれば、最終的に汲める水の量も相当な違いが出るはずである。だが、現実にはそうはならないと私は思っている。というのは、一番難しいのは、水を汲むスピードを上げることでも水を汲むテクニックを身に付けることでもなく、なにより何十年も同じペースで水を汲むことだからである。逆に何十年も同じペースで水を汲もうと思ったら、水を汲むスピードもそうやたらと上げられないはずである(100M走のペースではマラソンは走れない)。また、水を汲むテクニックについて言えば、これは一朝一夕に身に付くものではなく、ということはつまり、同じペースでこつこつと水を汲んでいくことで初めて身に付くという側面が強いので、そうなると結局、何十年という長い時間をなるべく一定のペースで水を汲み続けることができるか否かによって、最終的に汲める水の量というのは大きく変わってくるのではないかと思う。

 最後に、器というのは何も水を汲むだけのものではなく、器によっては水を汲むよりも別のことに使ったほうが適当なものもあるかもしれない。というよりきっとそういう器もあるはずである。例えば、小さな穴だらけの器であれば、それで水を汲むことはできないことはないが、あまり水を汲むのに適しているとは言えない。だが、他の用途であればあるいは穴の開いていない器よりも使い勝手がいいということもあるかもしれない。自分の持っている「器」の大きさや形を見極めて、それを何に使うのがいいのかを考えることもまたひとつ大事なことであると思う。

*1:例えば、オリンピックの陸上100Mで決勝に残るのはほとんど黒人スプリンターだけというのがそのいい例である。