「当たり前」は当たり前ではない

「当たり前」が当たり前ではなくなるというのは大事なことだと思います。

 

私たちは今回のコロナ禍で「当たり前」だと思っていたことが実は当たり前ではなかったことに気が付きました。「当たり前」が当たり前ではなかったと気付くことは、「当たり前」だと思っていたことが実は「有難い」ことなのだと気付くことだと思います。

 

 何も気にせず自由に外に出て食事したり出かけたりできることは当然のことではなく実は「有難い」ことである。

 

時間と少しのお金さえあれば気軽に海外旅行に行けることは当然のことではなく実は「有難い」ことである。

 

マスクがいつでも安い値段で手に入ることは当然のことではなく実は「有難い」ことである。

 

私たちはそれまでの状況に何か変化があった時に、「当たり前」が当たり前でないことに気付きます。

 

コロナ禍のように大きな変化ではなくても、「当たり前」が当たり前でないことに気付きます。年を重ねてくると、それまで体力があるのが「当たり前」だったのが当たり前ではなくなります。それまで健康であるのが「当たり前」だったのが当たり前ではなくなります。そうすると、人は健康の「有難さ」に気が付きます。

 

いつも電気や水やガスが使えるのが「当たり前」の生活をしていると、その状況が変化した時に、それが当たり前ではなく「有難い」ことに気が付きます。

 

いつも日本語を使って自由に意思の疎通が取れることが「当たり前」であると、いざ日本語を使えない(日本語が通じない)状況になった時、自由に意思の疎通が取れることがいかに「有難い」ことであるのかに気が付きます。そして、そのことに気が付くだけではなく、日本にいても、言葉の面で不自由していて、意思の疎通を取ることに苦労をしている人がいることにも自然と気が付くようになるはずです。

 

何かが変化して「当たり前」が当たり前ではなくなることは、場合によってとてもつらい場合もありますが、人が人として生きていく上ではこの変化は避けて通れませんし、むしろ「変化」によって何かに気付けるようになることは「有難い」ことであり、その人の人生にも必ずプラスになることだと思います。

 

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