当たり前の尺度の違い

コロナ禍はいっこうに終息する気配はありません。感染症が完全に終息するまでにはもしかするとまだ2、3年かかるかもしれません。

 

ただ、当然ながら多くの企業は経済活動を続けており、大変ありがたいことに、私個人は9月、10月は大変に忙しい月となりました。通常時でも2か月近くほとんど休みなく仕事をするということはそれほど多くはありません。私はタイ語の翻訳を初めて18年と数か月になりますが、この18年と数か月の間で定期的な仕事というのは割合としては10%に満たないと思います。ということは、90%以上の仕事は単発の仕事なわけですが、そういう状態で18年と数か月にわたりこの仕事を続けてきました。

 

ですから、当然のことですが仕事の量に波があります。ただし、仕事を始めた頃と比べると量の波というのは全体としては小さくはなってきています。つまり、極端に収入の少ない月というのが最初の頃と比べると随分少なくなってきました(今年は別ですが)。それでも、現実逃避したくなるほどとてつもなく忙しい時もあれば、仕事がなくて何日も暇な時というのも当然あります。

 

このように仕事の量に波のある状態でずっとやってきましたから、それがいいか悪いは別として、私にとってはこうした状態が「当たり前」です。これは、定期的な収入がある人から見ると非常に不安定な状態に見えると思いますし、実際に不安定と言えばそれはもちろん不安定です。

 

今回のコロナ禍では、前にも書きましたが4月などはほとんど仕事がなく、さすがに先行きが不安にはなりましたが、上述のように普段から仕事の量に波があるのが当たり前ですので、精神的な部分ではそれほどのダメージはありませんでした(もちろん貯えがあるというのも大きな理由の一つですが)。

 

これが、それまでは毎月決まった収入があったのに突然収入がなくなったり、収入が激減したりといった状況だったとしたら、相当に大きな不安を抱いたのではないかと思います。というのは、定期的な収入があるのが「当たり前」だと、いざそうではなくなった時のダメージが、私のような常が不安定な者とは比べ物にならないからです。

 

もちろん収入が不安定なのは私も望んではおりませんし、いいことではないのですが、今回のような非常事態になった時には、そういった普段からの望ましくない状況のおかげで精神的な不安やダメージが他の人より少なくてすんだというプラス面もあります。

 

ですから、昨日も書いたように、何がよくて何が悪いというのは一概には言えません。収入が不安定で悪いことも当然ありますが、時にはそれによるプラス面もあるわけです。

 

とは言いながらも、できるだけ仕事の波がないようにしたいという思いはずっとありますし、ここ何年かは特にこのことを特に考えていますが、今までと同じようなやり方で仕事をしている限り、こうした不安定な状況というのはおそらくこれからも大きくは変わらないと思います。ただし、私は収入面もさることながら、仕事のペースとして、常に一定量の仕事がある状態で仕事がしたいという思いを何年も持っていて、そう思っていたところに、コロナの世界的な感染という非常事態が発生しました。そして、これも前にも書いたように、逆にこれまでの仕事のあり方を変えるいいチャンスだと思ったわけです。

 

ただ、ここ2か月ほどは仕事が持ち直したことで、そういったことを考える余裕も暇もなく、仕事があるのは大変ありがたいことではあるのですが、これでは今までと変わらないというジレンマがあります。

 

にほんブログ村 外国語ブログ タイ語へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 外国語ブログへ
にほんブログ村