自分のしていることは100%正しいと思うことの危うさ

何事もそうだと思いますが、自分は今正しいことをしていると思っている時がむしろ危うい時なのだと思います。

 

というのも、自分は今正しいことをしていると思っている時は視野が狭くなっている時であり、周りが見えなくなっているからです。そういう時は違う意見や考え方が目に入りません。

 

どんなことでも100%正しいということもなければ、100%良いということもありません。逆に、どんなことでも100%間違っているということもなければ、100%悪いということもないと思います。少なくとも、そう思えてももしかしたら違うかもしれないという気持ちを心のどこかで持っておくことが大事なのではないかと思います。

 

実は翻訳の仕事にもこの論理が当てはまります。いわゆる「思い込み」というやつですが、これはこういう解釈だと思い込んでいる時は違う角度から考えてみるという発想自体が頭の中にありません。そういう時に気を付けないといけないのは、自分がそうだと思い込んでいること自体に自分で気付いていないということです。

 

本当にそれは正しいのか、本当にそれは間違っているのかと常に疑いの目を持つということはとても大切であり、また、どんな人やことがら、事象の中にも正しい部分もあれば間違った部分もあり、良い部分もあれば悪い部分もあるという一見すると矛盾しているような状況が実は真実なのではないかと思います。

 

個人の生活にしても、会社や学校などの団体での活動にしても、国の政治にしても、一面的に物事を見ないようにするということを常に頭の片隅に置いておくだけで随分と違ってくるのではないかと思います。

 

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