目的による文体の使い分け

文章を書いていると無意識のうちに目的によって文体を使い分けていることにふと気がつきます。今日は目的別に3つの文体について簡単に書いてみたいと思います。

 

 1)読み手が外国人である場合

 

これは話す時でもそうですが、相手が日本語を不得手とする外国人であれば、多くの人は無意識のうちに簡単な言葉を使ったり、分かりやすい言い方をしたりします。これは文章の場合でも変わりません。表現が簡潔であることが何より重要です。ポイントは2つあると思います。一つは「簡潔」のような漢語を使わないこと。もう一つは「敬語」を使わないこと。

これはタイ語でもそうなのですが、丁寧な言い方というのはある程度のレベルになってから学ぶものであり、逆に言うと、日本語が初級レベルの人に敬語を使うことは、極端に言えば相手にわざと分からない言い方をしているようなものです。漢語については言うまでもなく、外国人だけでなく日本人でも、漢語より大和言葉のほうが分かりやすいです。前に書いたかもしれませんが、私も日本語をタイ語に訳す時に漢語のほうがタイ語に訳す時に苦労します。

 

2)情報を伝えることを目的とする場合

 

ニュース記事やビジネスレター、メールの文章などがこれにあたります。日本人だからと言って誰もがきちんとした日本語を書けるわけではありません。これも日本語をタイ語に訳す仕事でよく思うことなのですが、まず日本語そのものが分かりにくいということがけっこうあります(これは半分愚痴です)。情報を伝えることを目的とする文章も簡潔であることは重要ですから冗長な表現はしないほうがいいですし、抽象的な表現もできるだけ避けたほうがいいです。また、翻訳をしている人はよく分かると思うのですが、係り受けを意識して書くだけで文章は随分分かりやすくなると思います。翻訳をする時にはまず文法を足掛かりに原文の内容を理解しようとしますから、どうしても文章の係り受けに意識がいきます。そうすると、自分が文章を書く時にも自然と係り受けを意識するようになります。あとは、語順というのもかなり大切だと思います。何が強調したいのか、何をまず伝えたいのかということを考えると自然と語順を意識するようになります。翻訳で訳文を考える時にも私は語順を非常に意識します。具体的には、私が書く訳文を読む人の立場になって考えた時、文章の目的や内容と照らし合わせて、どういう語順にしたほうが読む人が分かりやすいのかを考えます。

 

3)気持ちや感じたこと、イメージなどを表現する場合

 

自分が頭の中で漠然と考えていることやイメージしていること、例えば、絵を見たり音楽を聞いたりした時に思ったことや感じたことを表現する場合がこれにあたります。たいていの場合、抽象的な概念の表現ですので(1)や(2)の文体とはかなり性質を異にします。私がこのように毎日書いている文章も分類で言うと(3)になります。

 

この種の文章の場合は、簡潔さとか分かりやすいさといったものは、それほど重要なことではありません。自分の感じたことやニュアンスを伝えるためにあえて分かりにくい言い方をしてみたりするというのはよくあることだと思います。また、(2)のような目的の文章では、非文法的な文章はできるだけ避けたいところですが、(3)のような文章ではむしろあえて非文法的な書き方をすることによって自分の感じていることや考えていることが表現できる場合もあります。

 

こういった類の文章は、論理的である必要もなければ、理路整然としている必要もないため、例えば、外国人が読むという視点で言うと、もっとも分かりにくい文章ということができるかもしれません。

 

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