翻訳者の通訳前夜

 何度か書いているが翻訳と通訳は似て非なる仕事であり、両方の仕事を高いレベルで両立することは困難であると感じている。

私は基本は翻訳者なのだが、通訳の仕事の依頼が来ることもある。とてもじゃないが通訳の仕事を受ける余裕などない、というほど常に翻訳の仕事が忙しければおそらく通訳の仕事を引き受けることはないと思うのだが、現実は残念ながらそうではない。したがって、両方の仕事を高いレベルで両立することは困難ではあるが、通訳の仕事をやる可能性がある以上、何とかある程度のレベル*1で両立できるようにしなければならない。
 そのためには常日頃のトレーニングおよび勉強と事前の準備が大切なのだが、私は通訳の仕事をする頻度がそれほど多くないので、そのような状況で通訳の仕事をすることの困難さを2つの点で感じている。

 まず1点目は、通訳する分野に必要となる基本的な単語を忘れているという点。私は住んでいる土地柄、自動車関係の会社の通訳を色々と経験しており、製造業に関する語彙はひと通り知っているつもりである。ところが上述のように私の場合は通訳の間隔が空くので、何気ない単語を度忘れしてしまうことが時折ある。例えば、以前ある工場で研修の通訳をした時に“จาระบี”という言葉が出てきたのだが、日本語がとっさに出てこなかったので、この時は仕方なく「潤滑油」と説明した。こんなのは製造業で通訳をやっていれば基本中の基本みたいな単語なのだが、通訳の間が空くととっさに出てこないのである。これは人間としてはごく当たり前のことなのだが、やはり使わない言葉(必要のない言葉)は忘れるのである。それから、これは2点目の問題とも関わってくるのだが、翻訳という仕事は基本的に「覚える」ことを必要としないこともとっさに言葉が出てこない原因の一つである。ちなみに、件の“จาระบี”という言葉が出てきた時、日本語こそとっさに出てこなかったが、そのイメージはしっかり頭に浮かんでいたし、その匂いだってよみがえっていたのである(私はああいう匂いは基本的に嫌いではない)。

 困難さの2点目は、翻訳と通訳の仕事の性質の違いである。翻訳と通訳では使う「筋肉」が違うのだ。これも以前書いた記憶があるが、大雑把に言うと、翻訳はマラソンなどの長距離に適した「遅筋」、それに対し、通訳は短距離などの瞬発系の競技に適した「速筋」。そのような違いがあるので、仕事の「リズム」というものが全く異なり、たまに通訳の仕事をすると、そのリズムの違いに慣れるのにどうしてもある程度時間がかかる。ただ、マラソンと言うと翻訳のほうはじっくり時間をかけてやるというイメージを思い浮かべるかもしれないが、曲がりなりにもプロの翻訳者であれば、とりあえず何とか日本語に訳して、その後、分からない言葉を辞書で調べながら日本語の文章を直していく、などというやり方はしない(そういうのはシロウトの翻訳というのです)。もちろ一読しただけでは意味が分からなかったり、意味は分かってもピッタリくる日本語が出てこなくて悩むことも少なからずあるが、基本的には原文(タイ語)の意味を掴んだら、後は一気に日本語にするのである。もちろん通訳のように瞬間的にというわけにはいかないが、一般の人がイメージするようなちょっとずつ日本語にしていくプロセスではなく、通訳の訳出を幾分遅くしたぐらいのスピード感覚なのである。実際そのぐらいのスピード感覚で翻訳できなければプロとしてはやっていけない。と言うのは、ある程度のスピードがなければ生活していくだけのお金を稼げないからである*2。もちろんこれは質を伴った上でのスピードでなければ意味はないのだが。

 逆に、通訳の仕事を2ヶ月ほど続けてやったことが以前あり、その時は同じ会社での仕事だったので、内容こそ、ある週はプレスライン、ある週は塗装ライン、ある週は物流ラインと違いはあったが、それこそ使う「筋肉」は同じなので、講師の日本人が話す日本語をほとんど淀みなく*3次から次へとタイ語に訳出できた時があった(2ヶ月ずっとそうだったわけではもちろんない)。この時は舌の切れというか滑りが抜群で、頭で考えるよりも先にタイ語が口をついて出てきたのを今でも覚えている。

 とそんなことを考える通訳前夜である。

*1:「ある程度のレベル」とは、いただく通訳料に見合うだけの仕事をするというのが最低限の線である。

*2:そういう意味では正直に言うと私などまだまだ仕事が遅いほうである。

*3:「あ〜」とか「え〜」とか意味を持たない言葉をほとんど発することなく訳出できることを淀みなくと言う。ちなみに、私はこういった言葉を通訳の時に発しないよう常に気を付けている。