通訳終了

 何日か経つと忘れてしまうので、今のうちに覚えていることを書いておく。

 まず反省。英語の略称が一度で聞き取れなかった。今回は予想していなかった英語の略称(例えば、ILOのごとき)がいくつか出てきたが、そういった略称が一度で聞き取れない場合があった。「言い訳」しておくと、やはりこれは普段から通訳の仕事をしていない影響も大きい。ただ、今後も通訳の仕事がメインになることはないので、英語の略称も含めて“Quick Responce”の訓練を普段からするようにしなければならない。通訳前夜にも書いたが、普段翻訳しかしていないと、どうしてもレスポンスが鈍くなる。今後もしばらくは通訳の仕事をするであろうから、そうであれば、上述の“Quick Responce”も含めて、日常的にトレーニングする必要がある。
 もうひとつ反省。日本語からタイ語への通訳がまだまだ不満である。今回は珍しく複数の通訳者と一緒で、その半数ほどがタイ人通訳者だった。当然タイ人のほうがタイ語は流暢であり、それは仕方がないのだが、特にフォーマルな表現になればなるほどネイティブとの表現力の差を痛感する。通訳うんぬんを抜きにしても、フォーマルなタイ語をもっと淀みなく話せるようになりたいが、これはもう地道に勉強を続けていくしかない。ちなみに、今回日本人の通訳の中でタイ人も驚くほどのタイ語を話す人が一人いて、私も途中までその人のことをタイ人だと思っていた。タイ人も言っていたが、ほとんどタイ人が話すのと変わりない、まさに正真正銘のネイティブレベルのタイ語を話す人で、ハーフでもない生粋の日本人でこんなタイ語を話せる人がいるのだと感心した(残念ながら私は一生かかってもあそこまで自然なタイ語を話せるようにはならないだろう)。ところで、私がこの人のことをタイ人だと勘違いしたのは、もちろんタイ人のようなタイ語を話していたこともその理由なのだが、もっと大きな理由はこの人の日本語にある。これも非常に不思議なのだが、この人は生粋の日本人なのにその日本語はまるでタイ人通訳者が話す日本語、つまり明らかにネイティブ(つまり日本人)のそれとは違ういわゆる「外国人」の日本語だったのである。つまり、日本人ではあるのだが、少なくとも言語の面では感覚的にはタイ人通訳者であり、実際、私はこの人と話をする時は日本人でありながらタイ語で話をした。詳しいことは聞かなかったが(そんな暇はないので)、おそらく小さい時からタイにいたのだろう(そうでないとあのタイ語の自然さと日本語の不自然さが説明できない)。

 最後に、通訳という仕事そのものについて。やはり私は「やりがい」という点において、通訳よりも翻訳にそれを感じる。と同時に、やはり私は通訳よりも翻訳向きの人間なのだと思う。傲慢なことを言うが、仮に通訳の仕事に専念すれば、プロとしてある程度のレベルの通訳になれる自信はある。気は小さいが、場数を踏めば何とかなるということも実際の通訳の仕事を通じて実感している。何が違うと言うと、一言で言うと、「1時間でいくら」という仕事と、「1ページいくら」という仕事の違いなのだろう。仕事の内容もさることながら、この違いは私にとっては決定的である。