初めてのアテンド通訳(五日目)

 五日目は日帰りの京都観光ということでホテルを7時30分に出発した。前にも書いたように、通訳であるぼくがこういう仕事が初めてだということで、今回の京都観光にはバスガイドが付いた。したがって、バスの中でぼくがすることは基本的にはガイドさんの説明の通訳である。
 ただし、観光に行くのが日本人ではなく外国人なので、まずは自分たちが滞在している愛知県と京都の位置関係を手書きの日本地図を見せながら説明することにした。今回来日したタイ人たちに限らず、名古屋と愛知県の関係や自分たちが現在日本のどの辺りにいるのかなどが分かっていないタイ人が少なくないなく、どうせ行くならきちんと位置関係を把握してほしかったからである。
 ということで、ガイドさんに書いてもらった日本地図を見せながら説明することにした。まず、愛知県と京都の話をする前に、日本というのは島国で数多くの島があるが主だった島は5つあることを説明した。そして北から北海道、島としては一番大きな本州、そして次に、と思ったところで妙なことに気が付いた。中国地方が本州から分裂しているのである。最初から地図そのものもかなりいびつな形をしていると思ってはいたが、このガイドさんかなり地理には弱いようである。ということで分裂した中国地方にペンで線を引いてくっつけ、次に四国の説明をした。四国は四国の「四(し)」は「สี่(シー)」、「国(国)」はタイ語で言うと「เมืองไทย(ムアン・タイ)」の「เมือง(ムアン)」のような意味で、だからこの島には4つの県があると説明した。そして、次の九州の「九(きゅう)」は「เก้า(カーオ)」という意味だが、この島にある県は9つではないと説明した。ところが、まったく持って無知かつ不勉強なぼくは九州にいくつの県があるのかはっきりと覚えていなかった。たしか7県だったと記憶していたので、はっきりと覚えていないがたしか県は7つだったと思うと説明しておいた。いやいや、こういう通訳をするのにこんなこともはっきり覚えていないとはなさけない。(後から調べたら九州はやはり7県であった。)
 そういえば、この日の京都観光に出発する前に少し驚いたことがある。7時30分に出発ということで7時20分ロビー集合ということにしたのだが、ロビーの椅子に腰掛けて待っているタイ人の中になんと朝から缶ビールを飲んでいる人がいた。すっかりリラックスモードである。さらに、バスに乗り込むと今度はやはりタイ人の女性の手にビールの缶が。正直これにはいささか驚きを禁じえなかった。
 この日の観光は三十三間堂金閣寺清水寺の3ヶ所を回り、夕食も京都で取ってその日のうちに愛知県に戻るというなかなか忙しい日程であった。
 まず1ヶ所目の三十三間堂では、多くのタイ人がおみくじのようなものを引き、当然どういう意味か聞かれるだろうと思っていたのだが、いざそのおみくじらしきものを見てみると、中に1センチほど小さな金色の神様が入っており、神様を包んでいた紙にはそれがどんな神なのかが書かれていた。当然何が書かれているのか知りたいタイ人に意味を聞かれたのだが、ああいう紙に書かれている内容を複数の人間にさっと説明するのは簡単ではない。
 三十三間堂を見た後、京都駅の中にあるイタリアレストランでビュッフェの昼食を取った。ここでは、駅前の駐車場からレストランまでは意外に距離があり、中国チームとあわせて60人を越える大集団で駅の構内をぞろぞろ歩く様は端から見るとけっこう異様だったかもしれない。ちなみにこの時中国語の通訳の方は指示棒(銀色のにょきにょき伸びるやつ)を伸ばして先端にタオルなどを付けて中国人チームを先導していたが、こういう仕事で何を使うのかなどまったく考えていなかったぼくはそんなもの何も持っておらず、案の定タイ人チームはばらばらであった。ただしそれで迷子になった人は特にいなかったが。
 昼食を終えてバスに戻る途中で、駅の構内で歩いている日本人を見たタイ人のひとりが、「日本の女の人はなぜ歯がきれいではないのか」とぼくに聞いてきた。これは前々からたびたびタイ人に聞かれることなのだが、女性に限らず日本人はタイ人と比べて歯並びが悪い人が多いとぼくも思っている。それが日本人の顔の骨格のせいなのかどうかは分からないが、ひとつ言えることはぼくの知りうる限りでは、少なくともバンコクでは歯の矯正をしているタイ人が非常に多いことに気が付く。ただ、地方都市ではおそらくそうでもないだろうからやはり骨格のせいかもしれないが。
 午後はまず金閣寺に行き、当然金閣寺の周りで撮影会が始まったわけだが、周りには他の外国人や日本人の観光客も多くいて、5人組の日本人の女の子を見つけたタイ人(のもちろん男性)が、「あの人たちと一緒に写真を撮ってもいいか」といきなりぼくに聞いてきた。ぼくはいきなり外国人から写真を撮らせてくれなどと言われたら嫌がられるのではないかと思ったのだが、頼んでみると逆に一緒に写真を撮ることを喜んでいたようだった。やはり一緒に写真を撮らせてくれと頼まれれば嫌な気はしないものなのかもしれない。
 それぞれの場所では当然集合時間を伝えるのだが、金閣寺は1箇所目の三十三間堂と比べると全体の敷地が広く土産物屋も多いので、集合時間になってもなかなかみんなが集まらず苦労した。
 最後は清水寺で、金閣寺では集合時間に遅れる人もいたが、それも見越した日程になっていたので、最後の清水寺では2時間ほどの時間があった。
 ぼく自身は清水寺は確か大学生の時以来で、清水寺と言えばあの舞台づくりの辺りしか覚えていなかったのだが、清水寺の敷地内にはいろいろな神様が祭られていて、ぐるっと見て回るだけでもけっこう時間がかかる。また、12月の終わりということで木々は当然すでに落葉していたのだが、あとひと月早く来ていたらさぞかし美しい紅葉を見せられたのになと思うと残念であった。
 清水寺に後にした時にはすでにすっかり日が暮れていた。この後の夕食は純和食で、これまでの5日間では一度も出なかった刺身が最後に出た。これはタイ人だけではなく中国人もそうであったが、自国では日本食にほとんど縁のないような人たちは(いくらタイには数え切れないほどの日本料理屋があると言っても、関心のないタイ人の中には日本食など食べたことがない人もけっこういる)、やはり生の魚には抵抗があるようで、ぼくが刺身を食べて見せた後、ななめ向かいに座っていた中国人は一切れだけはがんばって食べてみせたものの、その隣に座っていた別の中国人は最初から刺身を鍋の中に放り込んでいた。タイ人の中にも刺身を鍋に入れて食べていた人もいたらしく、後からそのことを聞いたぼくが「อย่างนี้เรียกว่า เสียของ(ヤーン・ニー・リアック・ワー・スィア・コーン)」と言うと、別のタイ人からうまいこと言うと言われのだが、こういうのはタイで生活しているうちに自然に覚えた言い方なので、じゃあ日本語でなんて言うのと聞かれると、逆にこれだ、というぴったりの日本語が出てこない。要はタイ語タイ語のまま覚えたというやつである。ちなみに、100%ぴったりではないが、まあ日本語で言うなら、「これじゃあ刺身が台無しだよ」といったところである。
 ひととおり食事を終えた後、最後に頼んでいた舞妓がやってきて踊りを2曲ほど披露してくれた。顔を白粉で真っ白に塗りきれいな着物を着ている舞妓さんを目の当たりにする機会などなかなかないので(というか日本人であるぼく自身も舞妓さんを目にするのは初めてであった)、タイ人も中国人もとにかく一緒に写真が撮りたくて仕方がない。ぼく自身は舞妓さんには関心がなくほとんど知識がなかったのだが、舞妓さんは普通踊った後にお客さんとゲームなどをするらしく、三味線を演奏していた年配の芸妓さん(ネットで調べたところ、こういう芸妓さんのことを「地方(じかた)」というらしい)が何かゲームをしましょうかと言ってくれたのだが、なにせ60人から大人数だし時間もそれほど残っていないということで、結局はその代わりに舞妓さんと写真を取らせてもらうことになった。ただ、みんなにはそれのがかえってよかっただろう。そして最後に帰る時に舞妓さんに2、3質問する時間があったので、着物一式が200万円することや毎月違うかんざしをつけること、舞妓は地毛だが芸妓はかつらをつけることなどを年配の芸妓さんが教えてくれた。ぼくも舞妓さんと芸妓さんの違いについては以前テレビを見たことがあり、こういうこともぼくがちゃんと知っていればタイの人たちにももっと詳しく説明できるのになと思った。
 そして京都での夕食を終え、バスで愛知県に戻った時には予定の10時半を少し過ぎていた。さすがに1日中観光して帰りのバスではほとんどの人が寝ていたが、これが最後の夜だということもあり、ホテルに戻るとまた飲むから部屋に来ないかと誘われた。



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