翻訳する際の視点が昔とは違ってきている

どんな仕事でも腕が鈍る(なまる)というのはあると思いますが、私もここ数ヶ月仕事が少ない状況が続いていたので腕の鈍りは感じました。

 

 腕の鈍りだけではなく、仕事と仕事の間が空いて、根を詰めて何日も続けて仕事をするということがしばらくなかったので、1日仕事をすると頭と体がいつも以上に疲れているのを感じました。翻訳の仕事というのは1日中イスに座ってやる仕事なので体力は使わないように思うかもしれませんが、仕事をしている時はかなり集中しているので、頭はもちろんですが実は意外と体も疲れます。ただ、何日かすると体も慣れてきて、最近は以前と同じペースに戻ってきたのを感じます。

 

さて、翻訳する際の視点についてですが、昔と今では私の視点は明らかに違います。私は時々翻訳のトライアルの採点を頼まれることがあるのですが、トライアルの翻訳文を読んでいると、原文の内容の理解もさることながら、翻訳する時の視点が私とは違うなというのを感じます。

 

どう違うのかと言うと、これは昔の自分もそうだったのですが、経験がないうちは文章単位で訳そうとするのですね。これが経験を積んでくると、文章全体の流れを考えて訳すようになります。写生で言うと、前者は1本の木を見て一生懸命にその木を描いており、後者は森全体を見て森を描いているようなものです。

 

外国語から日本語への翻訳において、日本語の訳文を考える際は、1つの文章だけを見て訳そうとすると、その文章はきちんと訳せたように思えても、全体を通して見ると、訳文として筋が通っておらず、訳文全体を見るという視点がないので訳した本人はそれに気づかないということがあります。また全体を見ずに1文だけ見て訳そうとすると、原文の解釈を誤ることが少なくありません。1つの文の解釈は前後の内容、つまり、文脈によって変わってくるからです。また、日本語訳の組み立てを考える際も、1つの文にフォーカスしてしまうと、日本語として読んだ場合に、どういう語順のほうが読んでいて分かりやすいかという視点が抜けてしまいがちになります。

 

ただし、森全体を見て森を描くような訳し方をする時に気を付けなければならないのが、原文を読み、文章全体の流れ、言い換えると、文章全体の「絵」を頭に描く際に、全体像としてこういうイメージだと思い込んでしまうことです。そういう時には、逆に1本の木を見る視点が必要になります。1本1本の木に注目してみると、森全体を見ていた時には気が付かなかった細部が見えるからです。文章で言うと、文章全体を読んで何となくこういう内容かなと思ったけれど、1つ1つ細かく構文を見ていくと実は解釈違いをしていたということが往々にしてあります。経験を積んだ時に気を付けなければならないのがこういう点だと思います。

 

今の私は昔と違って森全体を見る視点で翻訳するようになりましたが、全体の流れをつかんで訳文の筋を外さないようにすると同時に、1本1本の木にも目を向けて細部もきちんと確認するという作業もしなければなりません。

 

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