翻訳で最も大切なことは

翻訳、特に、外国語を日本語に訳す際に最も大切なことは何なのか。

 

翻訳において大切なことは色々ありますが、最も大切なことは「原文の理解」だと考えます。

 

私は以前は「日本語としていかに自然であるか」ということに重きをおいていました。もちろん、訳文が自然な日本語であることも非常に重要です。しかし、外国語の原文を正しく理解できることのほうが大切です。なぜなのか?

 

私も翻訳者の端くれですから、色々な翻訳者の方が翻訳について書いていることを読んだりしますが、よく言われるのは、理想的な翻訳というのは、訳者が原文を読んで頭に描いた「絵(イメージ)」を日本語という言語で同じように描けることです。これはある程度の年数の翻訳経験がある人なら誰でも実感できることではないかと思います。そして、頭には原文で読んだイメージが浮かんでいるのに、それをいざ日本語という言語で表現しようとすると、「何か違う」ということもこれまた翻訳者であればよく分かると思います。これは、原文で描いた「絵」と日本語で描いた(表現した)「絵」にズレがあるからなんですね。ある風景を目で見て、それを紙に描き、描きあがった絵を見てみると、現実の風景と似てはいるが何となく違うというような感じです。上手い人ほどいわゆる「本物そっくり」に近づいていきますが、翻訳も同じで、上手い人ほど「本物そっくり」に近い絵が描けるわけです。

 

では、翻訳が「上手い人」というのは、どういう人なのか?もちろん「上手い」の中にも様々な要素がありますが、まず第一に、原文に書かれていることを明確(クリア)に頭に描けなければ、「本物そっくり」の絵など描けるわけがありません。つまり、原文に書かれている内容を明確(クリア)に理解できなければ、「原文にそっくり」な訳文など書けるわけがないのです。

 

逆に言えば、原文の内容を明確(クリア)に理解できないということは、原文の絵を頭の中で明確(クリア)にイメージできない、つまり、何となくぼやけた絵しか描けないわけですから、そのぼやけた絵をもとに日本語に訳せばどうしたってぼやけた絵にしかなりません。つまり、何となく似ているように見えないこともないけど、やっぱり原文とは違うとなるわけです。ついでに言うと、原文の内容を明確(クリア)に理解できないのは、おそらく一部分だけでしょうから(大半が理解できない人はそもそも翻訳などできません)、訳文の絵は、全体がぼやけているというよりも、部分的にぼやけた箇所があるような絵になります。

 

訳文が「日本語として自然であること」は重要です。しかし、原文を明確(クリア)に理解できなければ、自然な日本語など書けません。よしんば書けたとしても、つまり、クリアな絵を描けたとしても、そのクリアな絵は、原文の絵とは似て非なる絵なはずです。似顔絵で言えば、確かに絵としてはカッコいい顔なんだけど、本人の顔にはあまり似てないなあという似顔絵です。

 

では、どうすれば原文の内容を明確(クリア)に理解できるのか?という話につながるのですが、それはまたおいおい話していきたいと思います。

 

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