日本語のこと(つづき)

 昨日ここに書いた本をまた少し読み進めたが、やはり読んでいて引っかかる日本語の表現がところどころにある。引っかかるのは複合的な要因があってその理由を一言でこうだとは言えないのだが、昨日読んでいて気になったところを二つ三つあげてみる。
 「まわりにいる人たちは全員、貪る(むさぼる)ように食べていた」:括弧内の読みは私が入れたものである。これも、おそらくマクドナルドではないかと思われるとあるアメリカ系のファストフード店での様子なのだが、私はこの中の「全員」という表現に引っかかった。要は、まわりにいる他の客たちはだれもかれも、むさぼるようにして(ハンバーガーやらポテトを)食べていたという意味なのだが、「全員」と書くと、例えば店に客が50人いたとしたら「50人中50人すべてが」といった印象を受けてしまう。ただ、実際には50人の中に1人や2人はむさぼるように食べていない客もきっといるだろう。だから、これを例えば「まわりにいる人たちはみな、貪るように食べていた」とか「まわりにいる人たちはだれもが、貪るように食べていた」と書けば、「50人中50人すべてが」みたいな感じがしなくなる。つまり、「全員」でも「みな」でも「だれもが」でも基本的な意味は同じなのだが、「みな」や「だれもが」だと、「そこにいる人の大半(とはいっても少なくとも9割以上)」ぐらいの意味合いにも取れるが、「全員」と言ってしまうと、「大半」みたいなあいまいなニュアンスがなくなってしまうように感じられる。だからこの場面での表現に「全員」はそぐわないように思う。

 「スモール・ハンバーガーとフライドポテトのS」:これも同じくアメリカ系ファストフード店での表現。引っかかったのは「スモール・ハンバーガー」という表現。この話の中では、登場人物(未成年)はあまりお金がないので、注文したのが「スモール・ハンバーガーとフライドポテトのS」だけという内容なのだが、ここでの「スモール」という表現に違和感がある。店のメニューにはおそらくハンバーガーのSというのはないはずであり、それなら「小さな」とか「ちっちゃな」でいいではないか。「原書の作者(この場合はタイ人)がもし日本語で書くとしたらどう書くか」と考えてみれば、ふつう日本語では「スモール・ハンバーガー」とは書かないのではないかと思う。

 「ナンプラーをご飯に塗りたくった」:おそらくこの場面はただの白いご飯にナンプラーをかけて食べるということなのだと思うが、「ナンプラー」を「塗りたくる」という表現はおかしいだろう。プラスチックのビンに入っているナンプラーをビンから直接ご飯にかけるにしても、ナンプラーをスプーンですくってご飯にかけるとしても、「塗る」という表現は正確ではない。この場面なら「ナンプラーをご飯にぶっかけた」ぐらいではないか。

 というように、ところどころで日本語の表現そのものに引っかかってしまうので、なかなか話に気持ちが入っていかないのである。