初めてのアテンド通訳(三日目)

 三日目はいよいよ駅伝大会。1週間ほど前から毎日のようにチェックしていた週間天気予報では駅伝大会当日はずっと雨の予想だったのだが、2日前あたりからその予想に少しずつ変化が表れ、前日の予想では昼から天気が回復するという予想に変わってきた。

 そして駅伝大会当日。朝起きて部屋の窓から外を見ると、くもり空だが雨は降っていないようである。わざわざ日本に来たのに駅伝大会が中止になったりしたら気の毒だし、かと言って雨の中走るのもつらいだろうと思っていたが、まさに「雲行きが変わってきた」ようである。

 駅伝大会が行われる競技場にバスが到着した時にはそれでもまだわずかに雨がぱらついていたものの、1時間もすると空に晴れ間がのぞいてきて、日の当たるところにいるとじっとしていても汗ばむほどの天気になった。

 駅伝大会中は通訳としてやることはそれほど多くない。まず、受付の後に選手ひとりひとりの健康チェックがあるのでその際に通訳し、その後は実際のたすきが来てからたすきの使い方を再度説明した。ちなみに、健康チェックでは体温と血圧を測ってから医師の簡単な問診があったのだが、たしかタイ人は日本人よりも平熱が高かったという記憶があったので、選手のひとりに聞いてみると思ったとおり37度ぐらいだと言う。そして、問診の際に選手の体温を見てみるとやはり皆36度の後半から37度の前半あたりであった。

 もうひとつきちんと説明しないといけなかったのが体温の測定の仕方であった。というのも、タイでは口に温度計をくわえる方法が一般的な測り方なようで、脇の下に挟む方法をきちんと教えないと正しく測定できないのである。実際にはほとんど問題なく測定できたのだが、最後のひとりだけいつまでたってもデジタル音がならないので(体温計はデジタル式であった)、脇の下に挟んでいた体温計を見てみるとなんと体温計が逆さまだったのである。

 あとは開会式でのあいさつやたすきの使い方の説明を通訳し、いざ駅伝大会が始まった。

 大会が始まってからは、第1走者をスタート地点まで連れて行き、第2走者以降の人にどのタイミングでたすきの受け渡しをする中継地点に行くのかを説明したぐらいで(周回コースなので中継地点=スタート地点)、後は特にすることもなかった。

 今回の大会に参加した外国チームはタイ2チーム、中国3チームの合計5チームだけだが、参加チームを全部あわせると50チームもあるというなかなか大規模な大会であった。

 話によると中国チームの中には事前に入念な準備をしてきたチームもあったそうだが、タイチームはチームとしては特に準備をしてきたわけではなかった。と言うのも、6つの工場からそれぞれの工場の代表メンバーが集まってできたチームなので、事前に集まって準備をする時間はなかったそうで、実際初日のバスの中でお互い自己紹介をしあっていた。

 そんな状況ではあったが、中にはタイで行われるハーフマラソンに出たことのあるメンバーもいたし、さすがにそれぞれの工場の予選を勝ち抜いてきただけのことはあり、全50チーム中で11位と20位というまずまずの成績であった。

 そして、午後2時頃には大会が無事終了し、いったんホテルに戻った。この後、夕方から別のホテルで夕食懇親会が開催されるので、それまで2時間少々自由時間がある。ぼくも自分の部屋に戻りネットでもチェックしようと思っていたのだが、さすがに疲れていたのか眠くなり、結局ぎりぎりまでベッドに横になっていた。

 夕食懇親会は立食ビュッフェ形式(タイでいうところのカクテル形式)で、ぼくは会の進行を常に通訳しなければならない状態だったので、ウーロン茶を飲んだだけで、食事には一切手をつけられなかった。ちなみに中国チームのほうは通訳が3人いたので多少食事を取る時間もあったようである。

 この懇親会に関しては事前に進行の台本を渡されていたので大きな問題はなかったが、こういったあらたまった場での日本語のスピーチをタイ語に訳すのは意外とやさしくない。あいさつ言葉のようなフォーマルな言い方をあらためて勉強しなければと思った。また、タイ語と中国語の2ヶ国語の逐次通訳で、中国語、タイ語の順に訳すので、内容によっては中国語の通訳が終わると中国人が拍手をするなど、通訳のタイミングが難しかった。

 ひととおり挨拶が終わり、乾杯の音頭が取られた後、食事を取っているタイ人たちの様子を見ていると、中には中国の人たちと話をしている人たちもいる。ぼくもその場に行ったのだが、中国人の中にはほとんど英語が分からない人もいて、その時はタイ人が言ったことをぼくが日本語で中国語の通訳の人に伝え、それを中国語の通訳が中国人に伝えた後、中国人が言ったことを中国語の通訳が再び日本語でぼくに説明し、それをぼくがタイ人にタイ語で伝えるというなんとも面倒なやりとりをした。直接コミュニケーションが取れないというのはやはりなんとも不便なものだとあらためて感じると同時に、だからこそ通訳の存在意義があるのだということを再認識させられた。

 そして、最後に全員で記念撮影を行って懇親会が終了し、ホテルに戻った時にはすでに9時半近くになっていた。駅伝大会で走った後なのでさすがに疲れているであろうはずなのに、自分の部屋に戻る途中でタイ人たちに声をかけられた。これから飲むから一緒に飲まないか、と。前日はアルコールを取らなかったし、何と言っても今回のツアーの目玉であった駅伝が終わったので、やはり飲みたい気分なのであろう。日本語で言えば「打ち上げ」といった気分である。そう言えば、中国チームに未成年の人がいたので、懇親会ではアルコール類は一切なかったのである。だから余計に飲みたかったのだと思う。

 本来であればぼくは次の日の工場見学に備えてもう一度ネットで情報収集をすべきであったのだが(もちろん事前にある程度は調べてあるが)、せっかくの誘いを断るのも悪いし、それに何と言ってもこういう飲み会が嫌いではないので、ありがたく参加させていただくことにした。

 手ぶらで行くのもなんだと思って、ビールとつまみでも買っていこうと思い、近くのコンビニに行ったのだが、ふと思いついてビールを買うのはやめた。その代わりに焼酎を買ったのである。ビールならタイ人だけでも買えるが、焼酎などは自分では選べないだろうし、せっかくなので日本の酒も味わってほしかったからである。

 そして焼酎とつまみをもって彼らが宴会をやっている部屋に行き、ビールでもてなしを受けた後、さっそく買ってきた焼酎を渡したのだが、結果的には、一口、二口飲んだだけで後は飲まなかった。焼酎みたいな度数の比較的高いお酒はあまりストレートでは飲みたくないようである。残念。こんなことならビールを買ってこればよかった。結局この焼酎には最後まで誰も手をつけずメンバーのひとりが最後にはタイに持って帰った。

 それから、ぼくはコンビニでちょっとしたつまみと紙コップも買っていったのだが、いざ部屋に行ってみるとタイ人たちはビールは大量に買っていたものの、つまみやコップは一切買っていなかった。日本人は誰かの部屋で飲み会と言えば、つまみやコップはまず間違いなく用意するもので、やはり日本人のほうがこのあたりはマメなのかなあと思った。

 後は、タイ人がビールを飲むと言えば当然氷が欠かせないのだが、これはラッキーなことにホテルの自販機の横に無料の製氷機があったので助かった。それからタイ人はつまみを全く買っていなかったと言ったが、そのかわりにタイから持ってきた袋タイプのインスタントラーメン(いわゆるママー)を食べていた。しかもお湯に入れるのではなくそのまま食べるのである。初めはそんなものがうまいのかと思っていたのだが、すすめられたものを食べてみるとこれが意外にうまい。要領としては、まず袋の中の麺をある程度手で砕いておいて、その後に粉末スープを袋に入れて軽くまぜる。これだけで立派なつまみのできあがりである。ちなみに、味はベビースターラーメンのタイ風味といったところである。

 そんなわけで、飲んでいるといつの間にかひとりひとりと減っていくのだが(このあたりも日本人とは違う)、タイミングを逃したぼくは結局1時過ぎまで部屋にいた。その後部屋に戻ってシャワーを浴びてからそれでもネットで情報収集をしてから寝た。ちなみに、最後まで残っていたタイ人はこの後コンビニにトランプを買いに行きトランプをしたのである。



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