日本語のこと

 たまに思いついたように書いては、しばらく更新しないの繰り返しという今の状態がいやなので、ブログ全体のテーマ(目的)とどんなことを中心に書くのかをある程度決めてから書こうという気持ちと、その反面、インターネットの世界そのものと距離を置きたいという気持ちも最近あり*1、なかなかこのブログに手をつけられずにいるのだが、今日はちょっと日本語のことを書いてみたいなと思ったので、やはり「思いついたように」書いてみる。
 最近ちょっといつもより集中的に本を読んでいて、ここのところ読んでいるのは自分の好きな作家の小説で、エッセイも含めるとこれまでに少なくとも50冊以上はその人の本を読んでいるのでいるのではないかと思う。その作家というのはもちろん日本人で、読んでいる時は当然ながら日本語の世界にどっぷりと漬かっているわけである。どのくらいどっぷりかと言えば、かわいそうだとか、気の毒だとか、極めて感動的だとかいう場面でもないのに、その小説を読んでいると何度も涙が出てきたり、あるいは何気ないシーンで、顔がにわかにほころび、暖かで穏やかな気持ちになったりするほどである。場面も表現も大げさではないのにこれだけ人の心を揺さぶるのは、やはり言葉に重みと深みと味わいがあり、それでいて軽やか(重みがあるのにその重みを感じさせないとでも言おうか)でさわやかだからだと思う。そして、そういう表現ができるのがやはりプロということなのだろう。

 そういう素晴らしい日本語の世界を堪能した後に、ちょっとした意図をもって別の小説を読み始めた。その小説というのは、タイ人の書いたもので、つい最近インターネット内のあるページで、とてもいい小説だというようなことが書かれているのをたまたま目にして、この本を買うために開いたページのレビューでも、翻訳ということを感じさせない自然な文章みたいなことも書かれていたので、タイ語の文章を翻訳する者として興味が沸き、勉強もかねて買ってみることにした。

 そして、実際にその本を読んでみたのだが、実はまだ最後までは読んでいない。ただ、途中まで読んで、ここに書き留めておきたいと思ったことがあるので、今日はここにそのことを書こうと思う。

 まず先に断っておかなければならないが、この小説はタイ人が書いたものだが、原書はタイ語ではなく英語で書かれたものである。ただし、バンコクで育った人のようなので、タイ語のできないタイ人ということではないだろう。

 書き留めておきたいことは大きく分けて二つあるのだが、まず一つ目は、ここまで読んでみて、この話に心を揺さぶられることも、話に引き込まれることもなかった。これは一番大きな原因は小説の内容の問題で、私にとっては心を揺さぶられたり、話に引き込まれるような内容ではなかったというだけのことだと思うのだが、もう一つは「日本語」そのものにもその一因があるような気がしている。ごく大雑把に言うと、私が上述のように感じたのは一つには日本語の深みの問題もあるのではないかと思う。(断っておくが、私はこの本の訳者を批判したいと思ってこれを書いているのではない)

 そのことを踏まえた上で私が書き留めておきたいもう一つの点に触れる。それは、日本語の表現なのである。これはおそらく、いやきっと私が翻訳を仕事にしているせいだと思うのだが、翻訳物の小説だと私はどうしても日本語そのものの表現が気になってしまう(おそらくそれも話に引き込まれない要因の一つだろう)。そのせいもあるはずだが、読んでいてどうも気になる表現がいくつも見られた。

 まず一つ目は、「美味しくて冷たいソーダ」。これは、マクドナルドのことだと思われるファストフード店のことを書いている箇所の表現なのだが、最初に読んだ時に私はある違和感を覚えた。そしてもう一度読んでみて、その違和感の理由が分かった。それは「美味しくて、冷たい」と書かれていたからだ。これはやはり「冷たくて美味しい」のほうがよいのではないだろうか。もちろん、「冷たくはないけど美味しい」ソーダというのもありえるわけで、そういう意味では「美味しくて冷たいソーダ」というのは間違った表現ではないし、作者もそういうつもりで書いた可能性がゼロとは言い切れない。しかし、タイのことをある程度知っている人であれば、「冷たくはないけど美味しい」ということはちょっと考えにくいということに気付くのではないか。タイ人の一般的な感覚であれば、「冷たくはない」ソーダは「美味しくない」だろう(ついでに言うと、他の国の人でもこれは概ね同じ感覚だろうと思う)。だから、ソーダを美味しいと思うには、まず、「冷たい」ことが必要条件であり、そのためには「冷たくて美味しい」と表現する必要がある。だから私は「美味しくて冷たいソーダ」という表現に違和感を覚えたのである。また、マクドナルドと思われるファストフード店について書いた文章としては「ソーダ」という言い方にもいささか違和感を覚える。これがマクドナルドのコーラやファンタなどのことを指しているのだとすれば、日本人はふつう「ソーダ」とは言わないし、日本語では普通「ソーダ」とは書かないだろう。私には「炭酸」のほうがしっくりくる。

他にもまだいくつかあるのだが、とりあえず今日はここまでにしておく。

*1:翻訳の仕事でインターネットを使わないのは不可能なので現実としては難しいのだが。