その日本語の出来損ないみたいなヤツやめれ

 今日たまたま携帯電話の店でiPhone 4のパンフレットをもらったのだが、そこに書かれていた日本語を読んだ途端に、以前テレビでiPhoneのコマーシャルを見て、その日本語を耳にした時のなんとも気持ちの悪い違和感を思い出した。


 『第一世代のiPhoneが作った新しい基準を、今、iPhone 4がさらに引き上げます。驚きの新機能、いろいろ。iPhone 4の誕生以来、最大の進化です。』とか、

 『iPhone 4なら、ビデオ通話もワンタップで。これからは友だちの顔を見ながら話しましょう。見たこともない、新しい電話のかけ方です。Wi-Fiネットワークを経由してiPhone 4同士で通話できます。』とか、

 『最もシャープで、最も鮮やかで、最も解像度の高い、携帯電話のスクリーンです。ピクセルの数は一世代前のiPhoneの4倍。画像もテキストも驚くほど鮮明です。』とか、

 『iPhone 4は写真を劇的に進化させました。5メガピクセルのカメラに、5倍デジタルズームを搭載。内蔵されたLEDフラッシュで、明るさの不足した場合でも抜群の性能を発揮します。』とか。


 あらためて、翻訳とは何か、ある言語を別の言語に訳すとはどういうことか、外国語(例えば英語)で書かれている文章の内容をいかにして日本語で表現するかといったことを考えさせられる。

 上のような宣伝文句を読んでひとつ言えることは、たとえ英語において読み手に訴えかける効果的な表現であっても、それをそのままの形で日本語に移しかえると、効果的どころか無様な表現になる場合が少なからずあるということである。つまり、翻訳者は、英語と日本語のそれぞれの表現の特質を理解した上で、「日本語を書く」という意識のもと、英語の原文から得た情報を日本語で表現しなければならないということである。