閑話休題

 いきなりだが本日は話題を変えて、つい先ほど行われた「日米首脳共同会見」について。

 ぼくが見たのは途中からで、日米両首脳と記者との質疑応答の部分であったが、その質疑応答を聞いていると思わずハラハラドキドキしてきた。

 と言っても、安部首相の発言にハラハラしたわけでもなく、ブッシュ大統領の発言にドキドキしたわけでもない。「同時通訳の声」にハラハラドキドキしたのである。

 このブログで何度か書いているし、ブログのタイトルにもあるようにぼくの本業は翻訳であって通訳ではないのだが、やはりこのブログにも以前書いたように通訳の仕事をする機会もあるので(というかここのところは通訳のほうが少し多いぐらいなのだが)、こういう共同会見を聞くとどうしても会見の内容よりも通訳者の通訳ぶりに「耳」がいってしまう。

 そして、通訳の声を聞いていると、どうしても自然とドキドキしてしまう。途中で分からなくなったりしたらどうするのだろうと考えたりすると、人ごとながらどうしてもドキドキする感情を抑えられない。そしていつの間にか、もし自分がこうやって同時通訳をしていたらなどと考え恐ろしくなる。ぼくは同時通訳の仕事をしたことはないのだが、それでもその難しさはある程度分かるつもりである。少なくとも、同時通訳には同時通訳の技術が必要であり、それがなければ仕事はできないということである。

 では、同時通訳に必要な技術とは何か。ひとつには背景知識というのがあげられると思う。これはどの通訳でも同じことだが、その話の内容に通じていれば、ある程度は先回りして考えることもできるし、発言者の発言を予想することもできる。

 もうひとつ重要だと思うのが、「途中で止まらない」ことである。どれだけできる人であっても、生中継で同時通訳すれば、分からない言葉や聞き取れない言葉のひとつやふたつはあると思う。もちろん100%理解できて100%聞き取れることが一番いいのだろうが、よくよく考えてみれば、仮に日本人であるぼくが日本語の発言を聞いたとしても、その発言者の発音や声の大きさ、その時の音声状況によってはひとつやふたつ聞き取れない言葉はあると思う。現にぼくなどは自分が通訳の仕事をしている時でも日本人の言葉が聞き取れないことがしばしばある。

 そう考えてみると、100%聞き取れれば一番いいが、逆に言えば、完璧には聞き取れないのはある意味では当たり前という部分もあるので、大事なことは、「100%完璧に聞き取る」ことではなく「理解できなかった時あるいは聞き取れなかった時に冷静に対処できる」ことだと思う。

 そのあたりについてはぼくは技術もないし経験も少ないので詳しいことは説明できないが、普段シャドウイングをしていて、途中で止まらないことは非常に重要だと感じている。

 はっきりとは覚えていないが、ぼくはシャドウイングを始めておそらく1年半以上は経っていると思う。始めた頃は途中でついていけなくなるとどうしても止まってしまったが、途中で止まらないようにすることを意識してやっているうちに、一言二言ついていけない部分があってもそこで止まらずに続けられるようになった。1年半以上やっていてもまだ100%完璧にシャドウイングできるわけではないが*1、長く続けてきて一番成長したのはこの部分だと思うし、通訳という仕事をするには、こういった技術が絶対に必要だということは短いぼくの経験からもはっきり分かる。

 しかしそれにしても通訳というのは「度胸」のある人じゃないと務まるないと思っているので、「小心者」のぼくにはおそらく向いていないのである。

*1:それでも最初の頃を80%程度とすると現在では平均で95%ぐらいにはなっていると思う