言語化する目的

自分自身の思考を整理し、それにより理解の度合いを高める。それが言語化の一番の目的です。また、言語化とは、自分の中で具体的な形になっていないものを少しでも明確な形で認識するための手段でもあります。

 

 そういう意味では、翻訳や通訳という作業も内容・イメージの言語化であるとも言えます。というのも、翻訳者や通訳者は自分が読んだ文章あるいは聞いた言葉を翻訳機や通訳機のように機械的に別の言語で置き換えるわけではないからです(もちろん、単純な置き換えができる領域もありますがここではその話はひとまず置いておきます)。これは、日本語で考えれば分かることですが、日本語を母語とする日本人が日本語の本を読んだり、日本語のラジオを聞いたりするときは、無意識のうちにその本や話の内容を頭の中でイメージします。そのイメージが明確なうちであれば、別の人にその本や話の内容を日本語で伝えられるはずです。

 

翻訳者や通訳者がやっていることも実はこれと同じです。ただし、日本語で読んだり聞いたりしたことを別の人に伝える場合には日本語ではなく別の言語で伝えます。あるいは、別の言語の文章や話の内容を別の人に日本語で伝えます。

 

ごくごく単純なことであれば、例えば、お腹が空いた、うれしい、痛い、眠い、驚いたといったことであれば、表情や身振り手振りだけでも伝えられます。あるいは、数学の数式の世界のように数字を書くだけでも伝わることもあるでしょう。ただし、世の中の多くのことは、表情や身振り手振り、数字だけでは伝わりません。そうなると、伝えるためには、その内容を「言語化」するしかないわけです。それは、外国語であっても自国語であっても同じです。

 

このように考えていくと、それが何語であれ、言葉の役割というものが見えてくるような気がします。

 

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