ストレスの元には対峙するのではなく距離を取る

私の場合はですが、ストレスの元となるような人や事象に遭遇した場合に、そうした人や事象に対峙しようとしがちになります。

 

ストレスの元に対峙することでストレスを感じなくなればいいのですが、大抵の場合、ストレスの元に対峙しようとすればするほど逆にストレスを感じるようになります。では、どうすればよいのかと考えた時に、ストレスの元には対峙するのではなく距離を取ることが、ストレスを感じないですむ一つの方法だと思いました。

 

ここで言う「距離を取る」とは、物理的な意味と精神的な意味での両方を指します。

 

物理的な意味は文字通り「距離」を取ることであり、コロナ禍における“Social Distancing”ではないですが、ストレスの元となる人や事象からなるべく離れるようにする、そういった人や事象には可能な限り近寄らないようにするということです。もちろん、距離を取りたくても種々の事情により距離を取ることができないというケースも多々あるでしょう。そういったケースは別として、距離を取ることができるのに、あえてストレスの元に自ら近寄るようなことなしないことが肝心であり、それだけで回避できるストレスもけっこうあると思います。

 

もう一つは精神的な意味での「距離を取る」ですが、こちらのほうが私にとっては難しいです。ストレスの元となるような人や事象に遭遇すると、どうしてもそういった人や事象のことが気になってしまい、自分でも気づかないうちにそういった人や事象との精神的な距離が近くなっています。分かりやすく言えば、そういった人や事象のことが頭から離れなくなるということです。

 

ただし、精神的な距離を取ることは容易ではありません。距離を取ろうとすればするほど、つまり、そういったことを考えないようにしようとすればするほど、余計に気になってしますからです。少なくとも私の場合はそうです。そうして余計に気になってしまうと、精神的に距離が取れなくなりますので、そうすると結局、ストレスの元に対峙してしまうことになります。

 

ではどうすればいいのかと考えた時に、なかなか難しいことではありますし、全てのケースに当てはまるわけではありませんが、ストレスの元が本当にそんなに苦になるほどの大ごとなのかと自問自答してみるのも一つの方法かもしれません。自問自答してみると、自分がストレスの元だと思っていた人や事象のうちのいくつかは、実はそれほど大ごとでもないと気付く場合もあります。

 

また、ストレスの元になる人や事象のうち、自分にとってこういう人や事象は許せないという類のものもあるかと思います。分かりやすく言うと、自分の価値観で見ると「悪い」と判断する人や事象というのはそれがストレスの元になる場合があるのですが、そういう場合は、これは「良い」、あれは「悪い」という自分の基準や価値観をもう一度見つめ直してみることも必要だと思います。「良い」と「悪い」は一人の人間、一つの事象に混在しているものであり、人や事象を一面的にこれは「良い」、あれは「悪い」ととらえてしまうと、そうした判断がストレスの元になることも少なくありません。

 

後は、これができるのが一番良いのですが、自分が夢中になれることがあったり、いい意味で気になって仕方がないことが他にあったりすれば、ストレスの元になるような人や事象は些細なことにしか思えなくなり、そういったものとは自然と精神的な距離が取れるようになるかと思います。とは言え、実際にはそう簡単にはいきませんが。

 

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