日本語へのアウトプットとタイ語へのアウトプット

 前回、前々回と今の自分が考えていることを書いたが、要は何が言いたいかというと、「自分自身が納得のできる仕事をしたい」ということになるかと思う。逆に言えば、今の自分は自分自身が納得のできる仕事ができていないのであろう。

 自分自身が納得できる仕事をするために、翻訳と通訳という仕事における方向性ということを考えてみると、自分にとって意識すべき方向が大きく分けて2つあるように思う。
 一つは、「日本語へのアウトプット」という方向である。前回書いたように、私は少なくとも現段階では日本語からタイ語への翻訳はやりたくない(ただし、だから全くしないかどうかというのはまた別の問題)。やりたいのはタイ語を日本語にする仕事である。なぜかと言うと、やはり日本語を書くという作業がしたいからだろう。そうすると、日本語へのアウトプットがおのずと重要になってくる。日本語で過不足なく書き表す能力がなければ、納得のいく翻訳(和訳)などできるはずがないからだ。そのために常日頃からどういったことに取り組む必要があるのかということを考えれば、自分がやるべきことというのが見えてくるように思う。

 もう一つは、「タイ語へのアウトプット」という方向である。これは主に通訳の仕事を念頭に置いてのことである。私が引き受ける通訳の仕事というのは、どちらかと言うと日本語をタイ語に訳す場面が多く、最近とくにタイ語での表現力を高める必要性を感じている。あるいは、必要性というより欲求と言ったほうがいいかもしれない。タイ語で過不足なく表現することができない自分自身に納得がいっていないからである。このタイ語のアウトプットの部分については、これまで通訳の仕事のためのトレーニングを本格的にしたことがないので、アウトプットを意識したトレーニングを積んでいけば、ある程度のところまでは表現力を高められるはずである。また、通訳だけではなく、タイ語で何かを発信するということを考えた場合にも、書くことも含めてタイ語で表現するという部分をもっと底上げしていく必要がある。

 ただ、この二つはどちらも「手段」の問題であって、結局いちばん肝心なのは「何を」の部分である。まず考えるべきは実はこの部分なのかもしれない。