いまだ定まらぬ道(つづき)

 要は、「それほどよく知らない分野の文書を翻訳すること」は本当はしたくはないのだが、だからと言ってそういう仕事を断れば仕事がなくなってしまう(選り好みできるほど大きな市場ではないのだ)。それに、引き受ければそれなりに大変な思いをするだろうと分かっている仕事を断ることは、その仕事から逃げているのではないかという気持ちも自分の中にあり、なかなか断りづらい。とは言っても、「つらい」思いをしながら、本当はできればやりたくないと思いながら仕事を続けていくのは果たしてどうなのかということを今まさに考え惑い悩んでいるところなのである。ただし、翻訳作業そのものが難しいのでつらいとかやりたくないとかいうことではない。
 もう一つ、ここ1年ほどで日本語からタイ語への翻訳の依頼が増えてきている。これはタイ語から日本語の翻訳とはまた違った意味でやりたくない。少し前に、今度バンコクに支店をオープンするある店のスタッフ募集の文書を翻訳したのだが、この時もタイ語の文章を考えるのに本当に頭を悩ませた。日本語と比べると表現の引き出しが圧倒的に少ないからである。特にこの文書は店のコンセプトを表現した内容ということもあって、凝った表現の文章だったのだが、ただ単に内容(情報)を伝えるというだけではなく、その「ニュアンス」を伝えるということになると、それを正確にタイ語で表現するのは、少なくとも今の私にはやや無理があると感じた。というわけで、市場としてはおそらく日本語からタイ語の翻訳のほうが大きいと思うし、なかなか安心して任せられるタイ人翻訳者が少ないということで私に仕事が回ってくるという事情もあるようだが、今後はできるだけ日本語からタイ語への翻訳は引き受けないようにしようと思っている。(とは言っても、その時になってみなければ分からないのだが)

 後は、翻訳は翻訳でもジャンルの問題である。私がやっている翻訳は産業翻訳とか実務翻訳と言われるジャンルの翻訳なのだが、このジャンルの翻訳で、これぞ自分のやりたい翻訳だというものが見つからないのであれば、違うジャンルの翻訳をやるという手もある。この点については自分なりに試行錯誤しているのだが、これは何としても日本語に訳したい!と思えるものがまだ見つかっていない。最初に読んだ時には、「これは面白い。ぜひ日本語に訳したい」と思っても、2、3度読んである程度訳していくうちに、「やっぱりそれほどでもない」と気持ちが冷めてしまったものもある。

 惑っている方向性の3つ目は、翻訳という仕事そのものである。つまり、自分は本当に翻訳という仕事をやりたいのかということである。その大きな要因はやはり、やっていて「つらい」と感じるような、言い換えれば、やっていて楽しいと感じられないような仕事をしているからだと思う。ただ、私は翻訳という仕事そのものが嫌なわけではもちろんなく(自分で選んだ仕事なのだから当たり前だが)、自分がそれほどよく知らない内容の文書を翻訳するというような仕事をしている自分自身に疑問を感じているということなのである。

 結局、現実としては今やれる仕事を一つひとつ丁寧にやりながら、その一方で今後の方向を模索し、これが自分の進む道なのだと思えるものを見つけていくしかないのだろう。物理的な意味ではなく、いいかげん気持ちの上で「腰を据えて」仕事をしなければと思っている。