From Sep to Oct Part3

 1日の仕事は正式に決まったのが数日前で、当然それまでは資料などは何もなく、しかもその後もなかなか資料が送られて来なかった。ようやく当日のスケジュールなどごく一部の資料が送られてきたのが2日前の夕方で、大半の資料が送られてきたのは仕事の前日、つまり30日だったので、実際に準備が始められたのは30日の仕事が終わってからであった。
 この仕事の資料がなかなか送られてこなかったのは、クライアントのほうで資料の準備ができていなかったこともあるようなのだが、それだけではなく、資料自体が機密性の高い内容だったこともその一因であった。というのも、今回の仕事は、タイから日本のある企業を訪問する某大臣一行の通訳で、そういったこともあってギリギリまで資料が通訳者に渡されなかったのではないかと思う。(実際、仕事が終わった後すぐにすべての資料をクライアントにお返しした)

 そういったわけで、ただでさえ気が重い仕事なのに、直前まで資料が手に入らず、前日の夜になってようやく準備するような状況だったので、クライアントにもそういう状況であることはエージェントから伝えてもらい、クライアントからもできる範囲で準備していただければいいという返答は得ていた。

 とは言え、そういう状況だったのでいま一つうまく通訳できませんでした、というわけにはやはりいかないのである。大満足とは言わないまでも、少なくとも何とか大きなミスなく通訳するというレベルではなくてはならない。そのためには前日の夜であろうと何だろうとやはりできるかぎりの準備をしておくしかないのである。

 ちなみに先ほど気が重い仕事と書いたが、それは通訳する相手が大臣だからというよりも、挨拶などでフォーマルな表現を使う必要があったからということが大きい。というのも、2月に某高官一行の通訳をした時には私はタイ語から日本語の通訳を担当し、日本語からタイ語の通訳はもう一人のタイ人の通訳の担当だったのだが、今回は通訳は私一人で、しかも日本語からタイ語への通訳が中心だったからである。私はもちろんタイ語を話すことはできるが、個人的にはあらまった場で話す機会がほとんどないので、タイ語のフォーマルな挨拶というのは正直ぱっと口をついて出てこないので、そういう通訳はいささか緊張を強いられるのである(だいたい日本語でもフォーマルなスピーチに慣れていなければ緊張するものである)。それでも挨拶だけなら大したことではもちろんないのだが、内容自体も専門性の高い、難しいもので、これも私の気を重くさせる一因となった。

 結論から言うと、何とか大きなミスはなくこの日の仕事を終えることができた。と言っても満足のできる仕事ではなかったが、この仕事であらためて気が付いたことを少し書いておく。

 挨拶の通訳については前日とは言えあらかじめ原稿が渡されていたので、日本語の下にあらかじめ大まかなタイ語を書いておいた。大まかにしか書かなかったのは、前日で時間がなく一つひとつを詳しく書いているととてもではないがすべての資料をひと通り準備できそうもなかったからということもあるのだが、もう一つ、挨拶の訳をすべてタイ語で書いてしまうと、それをそのまま棒読みすることになってしまうのがいやという思いがあり、したがって、特に必要のある部分だけタイ語で書いておくことにした。というのも、以前別の通訳者が挨拶の通訳をしたのを聞いた時に思ったのだが、あらかじめ挨拶の訳がバッチリ書いてあるとどうしてもその文章を「読んで」しまい、リアルタイムで「通訳」しているという声色にならないからであり、コミュニケーションの橋渡し役である通訳の端くれとして、そういう通訳はできれば避けたかったからである。というか、逆に私が通訳される立場だとしても、そういう通訳は聞いていてつまらない思う。(つづく)