タイ語原稿よりも英語のほうが分かりやすいという現実

 タイ語翻訳の仕事では、時として、同じ内容の英語版や内容が関連している英語の文書を参考資料として事前に渡されることがある。翻訳の仕事をしていない人は、どうしてタイ語翻訳なのに英語の参考資料なのかと思われるかもしれないが、タイ日の技術翻訳や実務翻訳の世界では、英語の語彙や概念が元になっているタイ語が多々あり、そういったタイ語の語彙をダイレクトに日本語に訳すわけにはいかないからである。そして、そういうタイ語は、タイ日や日タイの辞書はもちろん、オンライン辞書にもたいがいは載っていない(ついでに言うと、仮に載っていても何も調べずにその訳語を使うのは素人のやることであり、翻訳をやっている人間は辞書に載っている訳語を基本的に信じていない)。そうすると必然的にGoogleで検索することになるのだが、ウェブで検索したからといってそのタイ語の日本語訳が直接見つかるなどということはめったにない。というよりもそもそも日本語訳を見つけようなどと思って検索しているのではない。
 では何のために検索するのか。もちろん最終的にはそのタイ語の日本語訳を見つけるためなのだが、まず最初に探すのは、日本語訳ではなく、そのタイ語のおそらくは元になっているであろう英語なのである。これはタイ語翻訳の仕事をするようになって、正確には、翻訳の仕事でウェブ検索するようになって分かったことなのだが、日本語とタイ語を直結するサイトなどというのは非常に数が少ない。それが専門的な内容に関するサイトであればなおのことである。ところがこれが英語とタイ語ということになるとその数がかなり増える。そして、英語と日本語を直結するサイトとなるとこれはさらに数が多くなる。ということで、そのタイ語の元となる英語が分かれば、後はその英語の日本語訳を検索すればいい。このように、タイ語から日本語の翻訳と言っても、現実としては英語が介在しているのである。

 タイ日翻訳にはそういう事情があるので、時として英語の参考資料が事前に渡されるわけだが、もちろんその英語の資料を全部読むなどということはない。必要がある時だけまさに「参考」に目を通すだけである。そもそもそんなものを全部読もうとしたら、今の私の英語力では、肝心の翻訳作業の時間がなくなってしまう。だが、そんな私であっても時にはその英語資料をかなりちゃんと読まないといけない場合がある。タイ語原文の文章が分かりにくい(つまり、その文章構造が極めて不明確な)場合である。そして、そんな時に英語の資料を読むと、信じられないことだが、タイ語原文なんかよりずっと分かりやすい場合がある。読解力で言えば、タイ語のほうが英語よりもかなり高いはずなのにである。

 こんな文章に遭遇してしまうと、正直言って翻訳したくなくなる。そのタイ語原文がおそらく英語から翻訳したものだと分かるからである。そして、英語から翻訳したことが分かるようなタイ語というのは、たいがい質の低い翻訳文なのである。こういう文章の翻訳は本当に気分が重い。重いだけでなく気分が悪い。文章そのものが不明確なので、タイ語の文法を拠り所にして文章を読み解くことが難しいからだ。そうするとどうしても文脈から判断しなければならなくなるのだが、こういう作業は精神的にも肉体的にも相当の負荷がかかる。しかも、どうして自分がこんな理不尽な苦労をしなければならないのかという思いが募るのでストレスもたまる。そして、だからこそ「タイ語翻訳には英語が必要」なのである。こういう文章はある意味タイ語であってタイ語ではないようなところがあるので、極端な話、タイ語の文法よりも英語の文法を拠り所にしなければならなくなるからだ。

 正直こういう仕事はできればやりたくないし、私にはやらない(引き受けない)という選択肢もある。だが、現実にはそれはなかなか難しい。こういう仕事をすべて断っていたら、その代わりに他の仕事をしてお金を稼がなければならなくなるからだ。だから現実問題としてそれに対処しようと思えば、どうしても英語が必要になる。結局はそこに行き着いてしまうのである。


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