翻訳者にとっての「素振り」とは?

 例えば、プロ野球の選手にとって「素振り」とは、基本を身に付けるための反復練習として毎日繰り返し行う(べき)ものであろう。相撲取りの「しこ」や「てっぽう」しかり、プロボクサーの「シャドーボクシング」しかりである。

 では、翻訳者にとっての「素振り」とは、つまり、翻訳者が反復練習として毎日行うべきものとは一体何であろうか?


 このことをあらためて考えてみたが、やはりそれは「読むこと」と「書くこと」に尽きると思う。

 ここではタイ語から日本語への翻訳という仕事を想定して書くが、その場合でも、タイ語を「読み」、日本語を「書く」というだけでなく、日本語を「読み」、タイ語を「書く」ことも必要であるように思う。そして、翻訳者が反復練習として「読み」、「書く」を繰り返す必要があるのは、「読み解く力」と「書き表す力」を身に付けるためである。

 もう少し具体的に書くならば、ありとあらゆるスタイルの、広範な分野の文章を読み、その一方、読むことで得た文章を実際に書くことにより、これらの文章が自分の血となり肉となる。そうすることで、「読み解く力」なり「書き表す力」がついていくのではないかと思う。

 つまり、文章を己の血肉とするが如く、自身の中に吸収する、つまり自分のものとすること、これこそが翻訳者にとっての「素振り」の目的になるのであろう。