「プア(เพื่อ)」の話

 今日はわけあってサイトラはしない。シャドーイングした時にサイトラをする気がなくなった。その理由はここでは書かない。その代わり、昨日の「เพื่อ」の話に対して、サーイさんとムータさんからコメントがあったので、それをネタに「เพื่อ」についてもう少し深く考えてみることにする。
 ということで、あらためて「เพื่อ」の意味を確認するために、ぼくの手元にあるMatichon Dictionaryで「เพื่อ」を見てみると次のように書かれている。

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บุพ. เหตุด้วย, เพราะว่า, เกี่ยวกับ, เนื่องด้วย, สำหรับ

まず、最初の「บุพ」というのは「บุพบท(前置詞)」の略である。その後の意味を見てみると、「เพื่อ」とは、原因や理由、関連、目的などを表す言葉であることが分かる。ここで、ムータさんがコメントで書いてくれた文章を例にして「เพื่อ」の役割を考えてみる。

ปัจจุบันสังคมไทยเเละสันคมโลกได้ตระหนักเห็นความสำคัญในเรื่องของสิทธิเด็กเพื่อปกป้องคุ้มครองสิทธิที่เค็กทุกคนควรได้รับตามกฐหมายดังนั้น

 これをいつものニュースのようにサイトラすると次のようになる。

ปัจจุบัน/現在では
สังคมไทยเเละสันคมโลก/タイの社会においても国際社会においても
ได้ตระหนักเห็นความสำคัญ/重要性を認めるようになった
ในเรื่องของสิทธิเด็ก/子どもの権利についての
เพื่อปกป้องคุ้มครองสิทธิ/権利を守るという理由から
ที่เค็กทุกคนควรได้รับ/どの子どもも本来得られてしかるべき
ตามกฐหมาย/法律上
ดังนั้น/したがって

 そして、これをぼくなりに翻訳すると次にようになる。

現在、タイの社会においても国際社会においても子どもの権利がその重要性を認められるようになったのは、どの子どもも本来得られてしかるべき法律上の権利を守るという理由からであり、したがって、、、。

 つまり、「現在のタイの社会や国際社会は子どもの権利の重要性を認めるようになった」という事実がまずあり、それに対して、「重要性を認めるようになった」その理由を説明しているのが、「เพื่อ」以下ということになる。ただ、昨日書いた「下の階の台所に行って、飲み物を探す」というのと違うのは、あれは「เพื่อ」の前と後が時間的に連続しているので、「〜して、〜する」のようにつなげられるが、上の文章は「重要性を認めるようになった」からと言って、すぐに子どもの権利が守られるようになるわけではなく、むしろそれには時間がかかるので、「〜して、〜する」式の日本語にはならない。それでも、「เพื่อ」でいったん文章が切れるという意味では昨日の例文もムータさんの書いてくれた例文も同じである。

 それから、サーイさんの書いてくれたコメントを見て思ったのだが、ただ単に「こういうことをした」というだけなら、サーイさんが書いてくれたように「ลงไปหาอะไรดื่มที่ห้องครัวชั้นล่าง」と言い、「何」をしに行ったかを強調したい時には「เพื่อ」を使うのではないか。また、そのように強調するという意図がなくても、とりあえず「ลงไปห้องครัวชั้นล่าง」と言った(あるいは書いた)場合、「何をしに」という部分を後から「เพื่อ」を使ってつなぐのであろう。さらに、「เพื่อ」というのはどちらかというと書き言葉的な表現で、口頭で使うにしてもどちらかと言うとあらたまった場(公の場)で使われるのが一般的だと思う。逆に通常の会話であれば、「เพื่อ」の代わりに「แล้วก็」あたりを使うのが普通なのではないか。というようなことを考えるとやはり「เพื่อ」というのはつなぎ言葉の役割を果たしているのだということに落ち着きそうである。