1月28日〜2月8日(おまけ)

 今回の現場には外国人の従業員も数多くおり、その中の何人かと話をする機会があった。
 ひと口に外国人従業員と言っても、今回ぼくが通訳をしたタイ人のように研修生という立場でやってくる外国人もいれば、個人で日本に出稼ぎに来ている外国人もいる。例えば、研修生という立場でやってきたタイ人であれば、来日前に(タイで)3ヶ月、来日後も1ヶ月日本語の勉強をしており、そういう意味ではある程度きちんと日本語の基礎を勉強していると言える。そして、タイ人と同じように研修生として来日した中国人とも話をする機会があったのだが、同じように日本語を勉強していてもけっこう日本語が達者な人もいれば、1年数ヶ月働いていてもこの程度しか話せないのかと思うような人もいた。このあたりはタイのタイ語学校でタイ語を勉強する外国人と事情はまったく同じで、どれだけその言葉を実際に使い、その言葉がうまくなりたいという思いがどれだけ強いかによって上達に大きな差が出てくる。
 ただし、今回印象に残ったのはこうした研修生として来日する外国人ではなく、個人で日本に出稼ぎにきている外国人であり、具体的に言えばそれは日系ブラジル人のことである。
 今回タイ人が配属された部署にも日系ブラジル人の従業員が何人かいて、やはり何人かと話をする機会があった。そのうちの1人のブラジル人が日本語を話しているのを最初に聞いた時、最初の印象ではけっこう日本語が上手な人だなと思った。発音も悪くなかった。ところが、そのブラジル人がタイ人に作業のやり方を説明する段になって驚いた。その作業とは具体的には製品の梱包なのだが、作業の説明をし始めると、途端に日本語が分かりにくくなったのである。そしてその時瞬間的に思ったことは、この人はおそらくきちんと日本語の勉強をしたことがないのだろうということである。つまり、日本語の基礎ができていないのである。作業のやり方といった内容を説明するには、ある程度筋道立った話し方ができなければならず、それにはやはり文法の基礎知識が欠かせない。そうした文法の基礎がないのである。この説明を聞いて、実はこの人の日本語がそれほど上手なわけではないことが分かった。そしてその後、このブラジル人と少し話をする時間があり、日本に来てどのぐらいになるのかと聞いてぼくはさらに驚いた。なんと日本に来て15年ぐらいになると言うのである。外国に何年住もうが何十年住もうがその国の言葉が片言しか話せない人がいるというのは別に不思議な話でもなんでもないし、そのことは頭では当然のこととして理解していたのだが、いざ実際にそういう人を目の当たりにして軽いショックを受けた。この人の場合は片言というよりはかなりできるレベルであったが、それでも15年日本に住んでいてもこの程度なのかというのが正直な気持ちであった。もちろんこれはこの人を馬鹿にしているわけでもなんでもなく(それどころかこの人の真面目な勤務態度と礼儀正しさには心を打たれたぐらいである)、語学というのはやはり基礎が大事なのだとあらためて痛感させられた。(この人がきちんと日本語を勉強したことがないかどうかは実際のところは分からないが、おそらくきちんと勉強したことはないはずである。)この後、別のブラジル人とも話す機会があり、この人も10年日本に住んでいるということであったが、やはり(ぼくの感覚からすると)とても10年住んでいるとは思えない程度の日本語レベルであった。
 語学の上達は、その国で暮らした年数とは基本的には関係ない。その考えが間違っていないことをあらためて確信した。


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