1月7日〜1月25日

 日記というのは、やはり読んで字のごとく、その日のうちに記しておくものだとつくづく思う。時間が経ってからそれまでのことを一気に振り返ろうと思っても記憶が薄れているし、いざ書くとなるとどこから書けばいいのか考えてしまう。
 ということで、とても順を追って振り返ることはできそうにないので、3週間の間に特に感じたことを箇条書きで書き記しておくことにする。
 ‐通訳としての自分の役割に徹すること。言い換えれば、通訳としての立場をわきまえて仕事をすること。詳述は避けるが、例えば、研修の内容を指導教官の説明の仕方や研修で使う教材の日本語に分かりにくいところがあると、そのままでタイ人たちにきちんと伝わるのかと不安になり、ついつい説明の仕方や教材の領域にまで口を出してしまうようなところがぼくにはある。今回は口を出しすぎて指導教官の機嫌を損ねてしまい、大いに反省させられた。「通訳とは一方の話した内容を過不足なくもう一方に伝えること」であり、それ以上の余計なことをしてはいけない。そのことをあらためて自分に言い聞かせるいい機会となった。
 −やはり実物を見ないとどうしても分からないことはある。いくら資料をしっかり読んでも、いくら適当なタイ語の訳語を調べようとしても、紙の資料だけでは限界がある。事前に資料を読み込むことやできる限り訳語を調べておくことは必要だが、それで準備が100%十分ということはありえないので、事前の準備であまり細部にこだわりすぎるのも、時間の無駄とは言わないがあまり効率的とも言えない。これは、事前にしっかり準備しなくてもいいということではなく、事前には準備しきれない部分はどうしてもあるので、あとは現場でいかに対応できるかが重要になってくるということであり、逆に言うと、通訳の現場で経験を積んでいかないと、現場で対応する力はつかない。うまく言えないが、これは出たとこ勝負でいいということではなく、経験と実力に裏打ちされた対応力といったものが通訳には必要だということである。
 ‐簡単な表現ほど難しい。難解な専門用語とか作業の内容の説明が複雑とかそういったことではなく、日常で使うような何気ない表現でふと困ってしまうことがある。これは実は前々から感じていたことであり、これまでの翻訳や通訳の仕事を通して相当数の語彙を身に付けてきていることは間違いないと思うが、いかんせんその語彙に偏りがあるせいで、簡単な言葉ほど意外に知らない場合がある。これについては、一朝一夕で解決する問題ではないが、どうすれば解決できるかはすでに分かっている。大量に本を読むこと。これに尽きる。これまで主に翻訳でかなりの文書を読んできたと思っていたが、こと読書ということになると、これまでタイ語の本をあまり読んでいないのだということに今さらながら思い知らされる。ということで、まずはタイ語の本を大量に読むこと(いわゆる多読をすること)。これを今年からの課題のひとつとしたい。



 営業活動の一環として翻訳ブログ人気ランキングに参加中

 営業活動の一環としてタイ語ブログランキングに参加中

 営業活動の一環としてタイ・ブログランキングに参加中

 営業活動の一環としてタイ情報ブログランキングに参加中