事件勃発

 前回の日記では「このクラスの授業が終了した後」と書いたが、よく考えてみると、授業の期間中だったような気がしてきた。いずれにしてもあやふやな記憶であるが。

 なんと、いきなり大量の先生が学校を辞めることになったのである。たしか7人ぐらいだったかと思う。学校の先生が全部で何人だったのかちょっと覚えていないのだが、全先生の半数近くだったのではないかと思う。それも教えるのが上手な先生たちがその大半である。

 詳しい事情は知らないのだが、どうも校長とその先生たちとの間で何らかの対立があったらしく、最後の最後に生徒たちへの説明があったのだが、その際も校長とその先生たちとの間でちょっとした言い争いが繰り広げられた。

 学校を辞めることになるこの先生たちはどうやら新しい学校を立ち上げるらしく、生徒たちの間でもそのまま今の学校に残るのかそれとも辞める先生たちがつくる新しい学校に移るのかが話題となった。

 結論から言うと、日本人、それも特に長く学校に通っている人たちの多くは新しい学校に移る人が多かった。学校を移るのにはいろいろな理由があるのだろうが、辞める先生たちに同情的な生徒も少なからずいて、実際、辞めていく先生たちのためのカンパを各クラスで募っている人たちもいた。

 この人たちは当然ぼくのクラスにもカンパを募りにきて、正直言ってぼくはカンパなどしたくなかったのだが、なんだかんだでちょっとカンパしてしまった。これについては今思い返してもくやしいというか、なんでカンパしてしまったのかと思う。

 というのも、どんな理由があるにせよこの先生たちは自主的に辞めるわけで、それに対してカンパを募るなんてちゃんちゃらおかしいとこの当時から思っていたのだ。

 また、この時は日本人だけではなく韓国人の生徒も相当数が新しい学校に移っていった。これも理由はいろいろあるのだろうが、ひとつには、この新しい学校の場所がスクムウィット通りの韓国人が多く住むエリアの近くだったことも関係している。

 ぼく自身も少し迷った。やはり教えるのがうまい先生がほとんどいなくなるというのは影響が大きいからだ。それでも結局、新しい学校には移らなかった。ひとつは、ぼくから言わせると筋違いな同情をしている人たちへの反発心からであり、もうひとつは、日本人の多くが新しい学校に移るので日本人ばっかりの学校では勉強したくなかったからである。しかし何と言っても一番の理由は、住んでいたアパートが学校のすぐ近くだったからである。

 そんなわけで、ぼくは次のクラスもこれまで通り今の学校で迎えることになった。