モジュール7じゃなくて社会問題

 思い出したが、社会問題ではエイズโรคเอดส์)のこととか麻薬(ยาเสพติด)のこととかそういった内容を勉強した記憶がある。

 それから話がそれるが、社会問題と言えば、昨日ちょうどNHKのニュースでタイの「ワイ(ไหว้)」が取り上げられていて、近頃ワイをしない人やきちんとワイをしない人が増えており、学校などでもきちんとワイをするように取り組んでいるというニュースがやっていた。その中でちょっと気になったのが、ワイをしない人やきちんとワイをしない人の映像である。

 ワイをしない人の映像で言えば、二人の女性が外を歩いていて、一人はちゃんとワイをしているが、もう一人はワイをしないという絵で、確かにもう一人の女性はワイはしていないのだが、あれはたぶん街中の祠の神様に手を合わせているのであり、あの映像をもって現代のタイ人はワイをしなくなってきているといった説明をするのはいささかおかしいと思う。

 また、きちんとワイをしない人の映像は、外でビニール袋を手に提げた女性がいて、その女性がビニール袋を手に提げたままワイをするというものなのだが、これなどもおそらく街中の祠の神様に手を合わせているものであろうと思われ、そういう時にするワイをもってきちんとワイをしていないとするのはおかしい。

 現実として今のタイ人が昔と比べてワイをしなくなっているのかどうか、あるいはきちんとした形でワイをしなくなってきているのかどうかについては実際のところはぼくには分からないが、少なくともここで問題にしているワイというのは礼儀作法のワイのことであろうから、その説明をするための映像としてあのような街中でのワイの映像を使うというのはNHKもいかがなものかと思う(まあ適当な映像を見つけられなかったというのが実際のところではあろうが)。

 随分話がそれてしまったが、タイのワイと言えば、目上の人に対してする者であるが(目下の者がしてきたワイに対してワイを返す場合は別)、同じ目上の人でも相手によってワイをする時の手の高さが違うのである。簡単に言うと、相手が自分より上の立場の人であればあるほど、ワイつまり合掌した時に合わせる人差し指の位置が高くなるのである(詳しくはこちら)。

 さて、昨日の話に戻ろう。社会問題のクラスの先生のことだが、この先生のしゃべり方でとにかく気になるしゃべり方があったのだが、それは話の最後によく「อะไรอย่างนี้」ということあった。これは日本語で言うと「〜みたいな感じ」といった言い方で、それまでの先生はこのようなしゃべり方しなかったので、この人は先生のクセになんでこういうあいまいなしゃべり方をするかなあ、と思ったものである。ただ、こういう言い方は覚えるとクセになり、ついつい自分でも使ってしまい、正直ぼく自身も通訳の仕事などでこの「อะไรอย่างนี้」や「อะไรทำนองนั้น」といった言い方をしてしまうことがある。