小休止(その4)
明日にしようとか書いておいて明後日になってしまった。こういう時に「ไม่เป็นไร(まあいいや)」という言葉を使うのもぼくとしてはアリである。
さて、妻の伯母さんの家族なのだが、日本で生まれ育った平均的日本人であるぼくから見ると実はすごい人たちなのである。何がすごいってなんと「trilingual*1」なのである。と言うのも、もう一度ココを見ていただきたいのだが、妻の伯母さんの家は前回書いたように5の「プラーサート郡(อำเภอปราสาท)」にある。地図で見てみると分かるがここはカンボジアの国境にかなり近く、伯母さんの家から国境までは20kmぐらいらしい。そういうわけで伯母さんの家では普段の会話はカンボジア語(ภาษาเขมร)*2なのである。
そしてもうひとつ、伯母さんの家族は「イサーン語(ภาษาอีสาน)」と呼ばれるタイの東北地方の方言を話す。なんだ3ヶ国語と言ってもひとつは方言かと思うなかれ。このイサーン語というのは実はラオス語の方言であり、そういう意味では伯母さんの家の人たちはタイ語とカンボジア語、ラオス語の3ヶ国語を話すことができるわけである。ちなみにカンボジア語とイサーン語(ラオス語)というのはいわゆる土地の言葉であるから、その土地の人間であれば自然と話せるようになる言葉であるのに対して、(標準語の)タイ語というのはあくまで学校で勉強して初めて身に付くものである。
ぼくはカンボジア語はほとんど分からないのだが、伯母さんたちの会話を聞いているとカンボジア語(らしき言葉)で話しているかと思うと、それがいきなりイサーン語に切り換わったりするのだが、このあたりの感覚と言うのは非常に興味深いところではある。ちなみに言うまでないことだが、ぼくや妻、妻の弟と話をする時には伯母さんたちはタイ語で話してくれる。
実はこの時、伯母さんの家だけではなく、妻のお母さんのお母さん、つまり妻のおばあさんの家にも行ったのだが、おばあさんの家は先ほどの地図で言うと9の「シーコーラプーム郡(อำเภอศีขรภูมิ)」にある。ここは地図で見るとカンボジアとの国境からは少し離れており、そのせいか妻のおばあさんはカンボジア語を話すことができない。ただ、不思議なことにおじいさんのほうはカンボジア語を話すことができる。というのはつまり、単にカンボジアとの国境の近くに住んでいるからカンボジア語が話せるというわけではなく、国境から離れたところであっても村によってはカンボジア語を話すところもあるということなのである。ちなみに妻のお母さんは現在50歳で、20歳ぐらいの時にバンコクに移り住んでいるのだが、カンボジア語を聞くことはできるが話すことはできないのだという。事実、何年か前にカンボジアのプノンペンにあるタイの大使館が焼き討ちにあった時に、あるタイ人記者がたまたまプノンペンのホテルにいて、危うく殺されかけそうになったところをカンボジア人のある男性に助けられたということで、後にタイのテレビ番組にそのタイ人記者とカンボジアの男性が出演したのだが、その時テレビを見ていた妻のお母さんは「カンボジア人男性が言っていることは理解できる」と言っていた。これもぼくにとってはかなり不思議な感覚である。