小休止(その3)

 次はスリン県(จังหวัดสุรินทร์)である。スリン県の位置は、やはり22日の日記の「จังหวัดสุรินทร์」をクリックしていただけば確認することができるのだが、地図を見るとトラート県と同じくカンボジア(กัมพูชา*1)と国境を接していることが分かる。

 上のページでスリン県の地図を見ていただくと分かるように、スリン県は17の郡(อำเภอ)および分郡(กิ่งอำเภอ)からなっている。ぼくが行ったのは妻の伯母さん、つまりお母さんのお姉さんの家で、伯母さんの家は地図で言うと5のプラーサート郡(อำเภอปราสาท)にある。この時は3日ほど伯母さんの家でお世話になったのだが、この滞在でぼくはやっぱり田舎には住めないなとあらためて思った。というのもはっきり言ってやることがないのである。これは何もぼくだけではなくこの時一緒に行った妻の弟も同じで、完全なバンコクっ子である弟はテレビゲームやパソコンがない生活など考えられないので、田舎に来てもやることがないのである。

 この「やることがない」という感じは日本で夏休みなどに母の実家に行った時と同じで、母の実家も農家をやっている典型的な田舎の村で、そこで何日か過ごしていると、周りは田んぼだらけで近くに店もほとんどないのでなにせやることがないのである。

 ただし、ぼくは田舎が嫌いというわけではなく、そこらへんの草むらで気軽に立ちションできるような(実際にしたわけではないが)田舎の開放感はむしろ大好きである(逆に都会の欠点は気軽にどこでもオシッコできないことであるというのはオシッコが近いぼくの切実な思いである)。でもじゃあそこに住みたいかと言われればそれはまた別問題で、ぼくは生活感あるれる風景や空間には訳もなく心躍る人間なので、そういう意味では、やはり人が行き交うようなある程度ごみごみした所を好むタイプなのだろう。

 そんな何もやることのない田舎ではあるが、行った時期がちょうどタイ正月のソンクラーン(สงกรานต์)だったので、それでも村は一年で一番賑やかな時期ではあったと思う。日中は村のお寺でソンクラーンの祭りが行われ、それぞれの集落ごとにチームになって綱引き(ชักเย่อ:チャッカユー)などをしていたのを覚えている。夜は夜で今度はやはりお寺の境内の特設舞台でリケー(ลิเก)と呼ばれるお芝居が行われていた。ちなみにタイではソンクラーンだけではなく、仏教に関係する祝日などの前後になると、お寺でこのようなお祭りが開かれ、そういう時にはたいていこのリケーの舞台も行われる。

 こういうソンクラーンのお祭りなどを見ると、日本のお盆の時期のお祭りに似た雰囲気はあるのだが、日本の祭りとは大きく違うなと思うのは、上述のリケーなどでもかなり夜遅くまでやっていることであり、このあたりはタイが南国たる所以ではないかと思う。

 実を言うと今日は妻の伯母さんたちがしゃべっている言葉について書こうと思っていたのだが、つまらないことを長々と書きすぎて疲れてしまったのでそれは明日にしようと思う。

*1:口語では一般的には「เขมร」と呼ばれる。