苦い思い出

 正直モジュール2で勉強した内容はほとんど覚えていない。

 ただ、ひとつだけよく覚えているのは、同じクラスでひとりどうにもそりが合わない人がいて、それがけっこうつらかったことだ。

 その人とはモジュール2から一緒のクラスになって最初は別になんていうことはなかったのだが、どうも途中からぼくのことが気に入らないような態度になってきた。もちろん面と向かって気に入らないと言われたわけではないけれども、その人の態度からそう感じた。今もってはっきりとはその理由が分からないのだが、その当時から2つほど思い当たるふしはあった。

 ひとつは、その当時のぼくは他のクラスメートと比べて多少タイ語の語彙が多かったと思うのだが、そんなこともあって、授業で例文を発表する時にぼくは学校で習っていないような単語をよく使ったりした。今から考えるとほんとに子どもだったなと思うのだが(今でも子どもだと思うがそれ以上に子どもだった)、こんなふうに学校で習っていない言葉を使うのがその人は気に入らなかったのではないかと思っている。

 もうひとつは、やはり授業で例文を発表する時のことだが、ぼくは例文を発表する時に何かにつけて「แฟนผม(ぼくの恋人は)」で始まる例文を発表していたので、もしかしてそれがうっとおしかったのかもしれない。ただ、これについては、ぼくも本当に他意はなかった。というのも、この当時はなんだかんだで妻もぼくのアパートに住むようになったのだが、午前中は学校に行き、学校から戻るとたいがい妻と昼ご飯を食べに行き、その後はアパートでタイ語の宿題や復習をやり、それで夜はまたご飯を食べに行くかおかずを買いに行く、というような極めて単調な生活を送っていて、しかも家にはテレビこそあったもののまだよく分からないし、インターネットはおろかパソコンすらもっていなかった。しかも日本人の友だちもいないので誰とも遊びにいかない。妻と一緒に暮らしているので夜遊びにも行かない(行けない)。そんな生活を送っていたので学校で例文を発表する時もどうしても「ぼくの恋人は」という文章にならざるを得なかったのである。

 それからもう内容は忘れたが、その人が例文を発表した時に明らかにぼくに対するあてこすりの文章だったのは今でも忘れられない。といいつつ、その内容は忘れたのだが。

 そんなわけで気が付くとその人とは気まずくなり、気の小さいぼくは、「ああ次のモジュールは一緒のクラスになりたくないなあ」と思うに至るほど気が重かったなんていう苦い思い出もあるのだが、今となってはそれもどうでもいいことである。