知識が大事なわけ

 タイ語学校の話はちょっとお休みして。

 実はぼくは細々と英語の勉強というのもしているのだが、英語の勉強の一環としていつも読んでいる英字新聞のメルマガに先日次のような文章があった。

 Matsuzaka's First Complete Game Gives Red Sox Good Win
 Japanese pitcher Daisuke Matsuzaka excited fans in his first Major League complete
 game with five strikeouts and no walks as the Boston Red Sox knocked out the
 Detroit Tigers 7-1 on Monday.

 この文章はどちらかと言うと理解するのが容易な部類に入ると思うが、この中に初めて見る言葉が2つほどあった。ひとつは「Complete Game」でもうひとつは「no walks」である。ただし、初めてではあったが両方とも意味は予測がついた。

 なぜか。それはぼくが野球に興味があり*1、野球に関する知識がそれなりにあるからだ。

 結論から言うと「Complete Game」というのはいわゆる「完投」という意味で、野球が好きな人なら容易に分かると思う。そしてもうひとつの「no walks」だが、これは「無四球」という意味である。これも直訳的に考えれば「歩くのがゼロだった」という意味になるのだが、野球の話ということで考えれば、要するにこの試合で松坂は「まったく歩かせなかった」ということになり、それはつまり「四球を一つも与えなかった」ということになる。

 というように、野球が好きな人であればたとえこの2つの言葉を見たことがなくてもこれらの言葉の意味が容易に分かるのだが、逆に、例えばタイ人で野球にまったく興味がない人であれば*2、この人の英語力がぼくよりもはるかに高いものであったとしてもこの「complete game」なり「no walks」の意味が分からないのではないかと思う。いやタイ人じゃなくて日本人でも野球にほとんど興味がなくルールさえも知らないような人であれば、先ほど書いた「まったく歩かせなかった」という日本語も意味が分からないかもしれない。

 タイ語や英語そのものの力はもちろん必要なのだが、その内容についての知識の有無もそれと同じくらい大事であるといういい例であり、翻訳や通訳の仕事をする場合でもまったく同じことが言える。

 そう考えると、例えばタイ人の翻訳者がイチローについて書かれた日本語の本をタイ語に翻訳する場合、仮にこの翻訳者が野球についてほとんど知らない場合は、というかむしろその可能性が非常に高いと思うのだが、この翻訳の作業はこの翻訳者にとってかなり困難を伴うものになるであろう。逆に、中田英寿について書かれた本を翻訳するとして、この人がサッカーについては非常に詳しい人である場合、この人にとって翻訳という作業で困難が伴うとすれば、それは内容に関する知識よりもむしろ純粋に日本語という言語を理解するという問題になるであろう。

*1:タイでは野球中継などやることはまずなく家にNHKなどもなかったぼくは、タイに住んでいた時期は野球にはほとんど興味がなくなっていたのだが、日本に戻ってきて知らないうちにまたナイターを頻繁に見るようになっている。

*2:タイでは野球はまったくのマイナースポーツである。