アパートを探す

 一番初めの日記に書いたように、2000年の8月5日にタイのバンコクにやってきたぼくは、まずカオサン通りにあるゲストハウスに滞在した。結局そこで2ヶ月ほど滞在することになったのだが、この2ヶ月の間に独学でタイ文字を勉強し、タイ語の読み書きはだいたいできるようになった。

 そしてこれも初めの頃の日記に書いたように、タイ語学校のほうは11月の半ばから開始だったのだが、いつまでもゲストハウスにいるつもりはなかったので、10月頃からアパートを探し始めた。

 日本にいる間にアパートの情報も多少は調べておいたので、まずは戦勝記念塔(タイ語で通称アヌサーワリーチャイ「อนุสาวรียชัย」)*1といわれる比較的安価なアパートが多くあるエリアを見に行った。

 ちなみにアパートを探すにあたっては、値段は3000〜4000バーツぐらい*2で、エアコンがある部屋に住みたいと考えていた。

 この当時は多少はタイ語が話せるようにはなっていたが、それでもタイ語だけで1人で交渉するのはまだ難しかったので、妻にも(当時はまだ妻ではないが)一緒にアパートを探しについてきてもらった。

 特にどこのアパートという目星をつけていたわけではなく、適当に歩いていくつかのアパートで部屋を見せてもらい値段を聞いてみたのだが、ぼくが思っていたよりも値段が高く、結局、ぼくが希望していた3000〜4000バーツという値段ではエアコン付きの部屋はどうもなさそうだということが分かった。

 実はこの戦勝記念塔周辺のエリアというのは、ぼくが通う予定のタイ語学校からは少し距離があったものの、このエリアならアパートもそれほど高くはないだろうということでまずアパートを探してみたのだが、思いのほか値段が安くなかったので、それならということで、学校の近くのアパートを探しに行くことにした。もちろん学校に近いアパートのほうが最初からよかったのだが、この学校は繁華街のど真ん中にある学校なので、その周辺のアパートはちょっと値段が高いだろうと敬遠していたのだ。

 そこで数日後、今度は学校周辺にあるアパートを探しに行った。

*1:正式名称は「อนุสาวรียชัยสมรภูมิ」(アヌサーワリーチャイサモーラプーム)。

*2:当時はたしか10000円が3700バーツぐらいだったので、そのレートだと日本円にして8000〜10000円程度