翻訳と通訳の共通点とは その2

 翻訳と通訳には日本語の能力が不可欠である。これは次のように考えてみれば明白である。

 例えばあるタイ人が話をしていて、それをぼくと他のタイ人が聞いているとする。その時、その話の内容についての知識が同程度であれば、やはりぼくよりも他のタイ人のほうが話の内容をよく理解できるはずである。ただし、それではそのタイ人がその話を日本語に訳すことができるかと言えばそれはまた別問題であって、そのタイ人に日本語の能力がなければ訳すことは不可能である。逆にぼくはタイ語の理解はそのタイ人にはまだ及ばないかもしれないが、日本語の能力がそのタイ人よりもかなり高いので日本語に訳すことができる。これが基本的な部分での日本語の能力である。

 では(日本語の教育を受けている)日本人であってタイ語の能力のある人であれば誰でも訳すことはできるじゃないかと言えばそれはまた違うのであり、だからこそ日本語の能力という特殊な技術が必要となるのである。

 ということで、翻訳および通訳において必要な日本語の能力というものを具体的に考えてみると次のようになる。

 まず、タイ語を日本語に翻訳あるいは通訳する場合。特に翻訳で言えば、これはぼくの本業になるわけだが、タイ語の文章の意味をできるかぎり等価の日本語に置き換える能力が翻訳には求められる。そのためには色々な日本語の文章のパターンを知っていなければならない。少なくとも知らない言葉を使うことはできないからである。例えば日本語には「寡聞にして」という言い方があるが、仮にぼくがこの言葉を知らなければ翻訳する文章でこの言葉を使うことはできない(ただしだからといって知っていれば使えるというものでもないが)。ぼくの考える日本語の能力というのは簡単に言うとこんな意味合いである。また、通訳の場合はその場で翻訳することが求められるので、翻訳のように「できるだけ等価の」日本語に置き換えるというわけにはいかないが、その瞬間にまさにぴったり(つまり等価の)言葉が出てこない場合でも、意味合いとしてはそれに近いその他の言葉をさっと言える能力が必要となる。ある著名な同時通訳者の言葉を借りれば、どんぴしゃの一卵双生児といかない時はいとこでも親戚でも何でもいいから即座にひっぱり出せることが大事なのであって、つまりはそれが日本語の能力なのである。また、通訳で日本語をタイ語に訳す場合などは日本人なら日本語は分かるのだから一見特別な能力は必要ないように思えるがやはりそれは違うのである。というのも、これは翻訳にしても通訳にしてもそうだが、訳すというのは単なる単語の置き換えではないので、やはりその文章を読んだりあるいは話を聞いたりした時にその内容を噛み砕くということが必要になるのであって、特に通訳では即座に内容を噛み砕くことが求められる。そして、それができるようになるにはやはり日本語という特殊な技術が必要となるである。

 ではその日本語の能力を高めるにはどうすればいいのかと言えばやはりそれはできるだけ多くの日本語に接することに尽きると思うし、その点はタイ語でも同じことである。となるとやはり大量に読書をするというのが言語の能力を磨く一番の近道であるというのが現時点でのぼくの考えである*1

 話をひっぱるつもりは毛頭ないのだが、今は仕事が忙しくこれ以上ブログに時間を費やすだけの心の余裕がないので3つ目の技術については次に書くことにする。

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*1:ただし外国語の場合は自分の能力に見合ったレベルの本を選択することも重要である