2000年8月5日から

 ぼくがタイに住み始めたのは2000年の8月5日だ。 
 でも実を言うと最初は住んでいたわけではなく、単に滞在していたという状態だった。何せ最初はあのカオサン通り*1にある1泊60バーツのドミトリーに泊まっていたのだから。

 昨日の日記では、タイ語を「モノにしたい」などと偉そうに書いているが、少なくともタイにやってきたこの2000年8月5日の段階でのぼくの状態は非常に中途半端だった。

 というのも、ぼくはタイに来る1週間ちょっと前に日本で海外青年協力隊の2次試験を受けているのだが、その結果を待たずにタイに来たのだ。確かその2次試験の結果が分かったのが8月13日だったと記憶しているが、その結果が分かる前の状態としては、受かれば日本に戻り、もし落ちたらそのままタイで暮らすぐらいに考えていたように思う(もうよく覚えていないが)。今考えると、少なくとも青年海外協力隊の2次試験の結果を聞いてからタイに来てもよかったわけなのだが、なぜかあの時はすぐにでもタイに行きたかったのだ。

 ちなみに上述の青年海外協力隊の試験だが、ひとくちに青年海外協力隊と言っても様々な分野がある。ぼくが受けたのは「青少年活動」という分野で、その当時バンコクの孤児院での活動の募集があったのでそれを狙っていた(ただし、たしか勤務する場所は選べなかったと認識している)。

 そして8月13日になり、事前に買っておいた国際電話のプリペイドカードを使って日本の自宅に電話をした。あの頃はこのカードのこともよく分かっていなくて、日本のテレフォンカードみたいに公衆電話にカードを入れてかけるのだと思っていたのだが、実はそうではなく、家庭の固定電話や携帯電話を使ってかけるタイプのもので、タイ人の知り合いのPCT*2を使ってシーロム通りのCPタワーにあるマクドナルドから日本の自宅に電話をしてもらった。電話をかけたのは夜で、電話に出たのは母だった。多少音声が悪かったが母の声はちゃんと聞こえ、協力隊の2次試験の結果がどうだったのかを尋ねた。

*1:タイ語の発音に従えば「カーオサーン」と表記するのだが、この当時のぼくの認識ではあくまで「カオサン」。

*2:バンコク近郊でのみ使える携帯電話で、家庭の固定電話の番号を使う方式の電話。日本のPHSに似たもので、当時はまだ携帯電話がそれほど普及しておらず、比較的安価なPCTを使う人が少なくなかった。