文字が記号に見える時

例えば、タイ語の文字を全く知らない人が次の文章を読むとどう感じるでしょうか。

 

หากใครที่ไม่รู้จักตัวอักษรไทยเลยจะอ่านประโยคนี้แล้วรู้สึกอย่างไร

 

おそらく何かの記号にしか見えないと思います。

 

逆に多少なりともタイ語の文字を知っていて読める人であれば記号には見えないでしょう。当然私もそうです。

 

しかし、もし私がアラビア語の文字を見れば、アラビア語の文字だろうということは仮に分かったとしてもやはり記号のようにしか見えないでしょう。つまり、文字は読めなければ記号にしか見えません。韓国語のハングルも私にとっては単なる記号です。

 

ですから、当然日本語を母語とする人にとっては日本語は記号ではなく文字に見えます。読めるのですから当然です。

 

ここから変なことを書きます。読めるのですから当然文字に見えるはずなのですが、今日、日本語のひらがなを書く練習をしていた時に、ふと、ひらがなが文字ではなくて記号のように見えました。

 

ひらがなを一文字ずつ書く練習をしていたので、文字を「読む」という行為をしておらず、むしろ文字の形だけを見て、その形の通りに文字を書くことに集中していたためです。ひらがなの形だけを見ていたら、文字ではなく記号に見えてきたのです。そして、日本語の文字を全く知らない外国人がひらがなを目にするときっとこういう感覚なのだろうと思いました。

 

この感覚は文章になっている日本語を見てもあまり分からないと思います。一文字のひらがな、例えば、「を」という文字を(それもできれば手書きの文字を)、形だけを意識してじっと見ていると、なんだかへんな形をした記号に見えてきます。

 

外国人であれば、これが例えば文章になっていても全ての文字が記号に見えるはずであり、そう考えると、意味のある文字として認識しない時、つまり、純粋に形だけを意識して見ている時は、どんな言葉の文字でも記号に見えるのだろうと思います。

 

と、ただそれだけの話です。

 

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