声のイメージ2

昨日のブログを書いて、「声と顔のイメージ」についてふと思うことがありました。

 

芸能人や歌手、俳優、テレビのアナウンサー、政治家など、普段からその顔を目にし、その声を耳にしている人の場合は、「声と顔のイメージ」が一致します。実は私はテレビを見ないのでいい例がすぐに思い浮かばないのですが、例えば、安倍首相と言えば、大抵の人は安倍首相の「顔」だけでなく「声」のイメージもすぐ頭に浮かぶと思います。このケースでは、私たちはその人の「顔」と「声」の情報を同時に受け取るため、その情報を何度か受け取るうちに、2つの情報が頭の中で無意識のうちに一致するようになるわけです。

 

次に、「声」はよく知らないけど、インターネットや本、新聞、雑誌などの媒体でちょくちょく「顔」は見かけるという人もいるかと思います。例えば、テレビにはめったに出ないけど、雑誌などではよく見かける著名な作家さんなんかです。その作家さんをたまたまテレビで見て、あるいは、その作家さんの出ている動画を見て、「あ、この人こんな声だったんだ」とか、「ああ、イメージ通りの声だな」などという場合もあります。

 

あとは、昨日のパターンです。「声」はよく知っているけど「顔」は知らない人。ラジオのアナウンサーやパーソナリティ、声優さんなどですね。このパターンだと、「ええ~、この人こういう顔だったんだ」なんていうことも多いかと思います。というのも、特に声優さんはそうですが、こういう人たちは「声」というサービスを売っている人たちですので、普通の人の声とは声の質が違いますから、一般的な「声」というイメージだと、なかなか「顔」と「声」のイメージが一致しにくいのだと思います。

 

「声」と言えば、私は『となりのトトロ』のメイちゃんの「声」がとっても好きです。私のイメージですと、メイちゃんはもうあの声以外は考えられないので、もし別の声だったら映画の印象が違ったかもしれません。先ほどは「声と顔のイメージ」ということを書きましたが、アニメもまさしくそうです。『ドラえもん』の声というと私は大山のぶ代さんのあの声のイメージしか浮かびません。ドラえもんに限らず、声優さんが交代した時には、今まで一致していた「声と顔のイメージ」がずれるで、最初は「違和感」があります。ただ、その「声」が好きかどうかは別にして、何度も聞いていると慣れてきますので、私は見ていませんが、ドラえもんの新しい「声」を何度も聞いている人はもう慣れて、ドラえもんの「顔」と新しい「声」のイメージが一致していると思います。

 

そこでふと思い出すが、タイに住んでいた頃に見ていたドラマのことです。タイのドラマではありません。一つは日本のドラマ、もう一つは韓国のドラマです。日本のドラマを初めて見た時は、タイ語の吹き替えでしたので、もう「違和感」の一言でした。だって、日本人がタイ語をしゃべっているんですから、どう考えても変でしょう。覚えているのは、四姉妹が出てくるドラマで、そのお父さん役が田村正和さんだったと思うのですが、不思議なもので、何話か見るうちにだんだんと違和感がなくなり気にならなくなりました。(このドラマは日本では見ていないので、タイ語の吹き替えながらけっこうハマりました)

 

もう一つが、韓国ドラマ。日本では『宮廷女官チャングムの誓い』というタイトルのドラマです。このドラマをタイにいる時に見ていたのですが、日本のドラマと同じでタイ語の吹き替えでした。でも、日本のドラマと違って「違和感」はないんですね、最初から。そのへんがおもしろいなと思います。このドラマは結局、最終回まで見ましたので、私の中での「チャングム」の声のイメージはタイ語の吹き替えの声です(今でもタイ語チャングムのイメージが浮かびます)。日本に帰国してからたまたまこのドラマをテレビで見たのですが、その時見たのは確か日本語の吹き替えで、その吹き替えの日本語を最初に聞いた時は「違和感」の一言でした。そして、その日本語のチャングムの声が私のイメージするチャングムの声と一致せず、ドラマに入り込めなかったため、その後ドラマを見ることはありませんでした。もしこれが逆だったら、私の中での「チャングム」の声のイメージは日本語の吹き替えの声だったはずです。

 

「声のイメージ」というのは不思議なものです。ただ、これだけ強いイメージを人の脳みそに植えつけるわけですから、逆に言うと「声」というのはやはり非常に重要な要素であり、声優さんやアナウンサーは言うに及ばず、政治家でも学校の教師でも講演の講師でも通訳者でも「声」を使った仕事をする人は、やはり「声」の重要性と価値というのをよくよく考えないといけないなと思います。

 

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